この追悼サイトは、 三浦 綾子(小説家)さまのために作成されました。
享年77歳 、誕生日 1922年4月25日、命日 1999年10月12日
※ 三浦さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の作家。北海道旭川市出身。旧姓:堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。
1963年、朝日新聞社による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の1000万円(当時の1000万円は莫大な金額であった)懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿。これに入選し、1964年12月9日より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始する。
この『氷点』は、1966年に朝日新聞社より出版され、71万部の売り上げを記録。大ベストセラーとなり、1966年には映画化された(監督:山本薩夫、出演:若尾文子)。また数度にわたりラジオドラマ・テレビドラマ化されている。ちなみに、日本テレビ系番組『笑点』は、このころベストセラーであった『氷点』から題名を取ったと言われる。
1996年、北海道文化賞受賞。
結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、1999年10月12日に多臓器不全により77歳で亡くなるまでクリスチャン(プロテスタント)としての信仰に根ざした著作を次々と発表。クリスチャン作家、音楽家の多くが彼女の影響を受けている(例えば、横山未来子、椎名林檎[3]など)。没後の同年11月、光世と共にキリスト教功労者を受賞した[4]。
1999年、彼女の名にちなんだ三浦綾子文学賞が設立された。現在でも続いている。
2014年10月に三浦光世が死去し、その遺言により夫妻が生活していた自宅は三浦綾子記念文化財団に寄贈された。2016年2月、三浦綾子記念文化財団は三浦家家屋検討委員会を設置して自宅の保存と活用を協議したが、現地保存は維持管理や費用面から難しく、全面移築にも多額の費用がかかるため、書斎などを三浦綾子記念文学館に移築して保存することとなった。これとは別に、1961年から1971年まで暮らした旧宅の一部が和寒町に1999年に移築され、塩狩峠記念館として公開されている[5]。
著作[編集]長編小説[編集]
三浦綾子記念文学館 北海道旭川市神楽7条8-2-15 0166-69-2626
※注:このサイトは、三浦綾子に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
享年77歳 、誕生日 1922年4月25日、命日 1999年10月12日
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三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の作家。北海道旭川市出身。旧姓:堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。
1963年、朝日新聞社による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の1000万円(当時の1000万円は莫大な金額であった)懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿。これに入選し、1964年12月9日より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始する。
この『氷点』は、1966年に朝日新聞社より出版され、71万部の売り上げを記録。大ベストセラーとなり、1966年には映画化された(監督:山本薩夫、出演:若尾文子)。また数度にわたりラジオドラマ・テレビドラマ化されている。ちなみに、日本テレビ系番組『笑点』は、このころベストセラーであった『氷点』から題名を取ったと言われる。
1996年、北海道文化賞受賞。
結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、1999年10月12日に多臓器不全により77歳で亡くなるまでクリスチャン(プロテスタント)としての信仰に根ざした著作を次々と発表。クリスチャン作家、音楽家の多くが彼女の影響を受けている(例えば、横山未来子、椎名林檎[3]など)。没後の同年11月、光世と共にキリスト教功労者を受賞した[4]。
1999年、彼女の名にちなんだ三浦綾子文学賞が設立された。現在でも続いている。
2014年10月に三浦光世が死去し、その遺言により夫妻が生活していた自宅は三浦綾子記念文化財団に寄贈された。2016年2月、三浦綾子記念文化財団は三浦家家屋検討委員会を設置して自宅の保存と活用を協議したが、現地保存は維持管理や費用面から難しく、全面移築にも多額の費用がかかるため、書斎などを三浦綾子記念文学館に移築して保存することとなった。これとは別に、1961年から1971年まで暮らした旧宅の一部が和寒町に1999年に移築され、塩狩峠記念館として公開されている[5]。
著作[編集]長編小説[編集]
- 『氷点』朝日新聞社
- 『氷点』1965 のち文庫、角川文庫
- 『続・氷点』1971 のち文庫、角川文庫(文庫版上巻:ISBN 4041437059, 下巻:ISBN 4041437067)
- 『ひつじが丘』主婦の友社 1966 のち講談社文庫
- 『積木の箱』朝日新聞社 1968 のち文庫、新潮文庫
- 『塩狩峠』新潮社 1968 のち文庫(文庫版:ISBN 4101162018)
- 英語版は"Shiokari Pass"として翻訳/出版されている。
- 『道ありき』主婦の友社
- 『道ありき わが青春の記』1969 のち新潮文庫(『道ありき 青春編』)
- 『この土の器をも わが結婚の記』1970 のち新潮文庫(『この土の器をも 道ありき 第二部 結婚編』)
- 『光あるうちに 信仰入門編』1971 のち新潮文庫(『光あるうちに 道ありき 第三部 信仰入門編』)
- 『裁きの家』集英社 1970 のち文庫
- 『自我の構図』光文社 1972 のち講談社文庫
- 『帰りこぬ風』主婦の友社 1972 のち新潮文庫
- 『残像 愛なくばすべてはむなしきものを』集英社 1973 のち文庫
- 『石ころのうた』角川書店 1974 のち文庫
- 『細川ガラシャ夫人』主婦の友社 1975 のち新潮文庫
- 『天北原野』朝日新聞社 1976 のち文庫、新潮文庫(文庫版上巻:ISBN 4101162123, 下巻:ISBN 4101162131)
- 『石の森』集英社 1976年4月25日[9] のち文庫。1975年2月~1976年2月、月刊「セブンティーン」に連載
- 『泥流地帯』新潮社
- 『泥流地帯』1977 のち文庫 (文庫版:ISBN 4101162069)
- 『続・泥流地帯』1979 のち文庫 (文庫版:ISBN 4101162077)
- 『果て遠き丘』集英社 1977 のち文庫
- 『広き迷路』主婦の友社 1977 のち新潮文庫
- 『岩に立つ ある棟梁の半生』講談社 1979 のち文庫
- 『千利休とその妻たち』主婦の友社 1980 のち新潮文庫
- 『海嶺』朝日新聞社 1981 のち文庫、角川文庫
- 『青い棘』学習研究社 1982 のち講談社文庫
- 『愛の鬼才 西村久蔵の歩んだ道』新潮社 1983 のち文庫
- 『水なき雲』中央公論社 1983 のち文庫
- 『嵐吹く時も』主婦の友社 1986 のち新潮文庫
- 『雪のアルバム』小学館 1986 のちライブラリー、文庫
- 『草のうた』角川書店 1986 のち文庫
- 『夕あり朝あり』新潮社 1987 のち文庫(五十嵐健治の伝記小説)
- 『ちいろば先生物語』朝日新聞社 1987 のち文庫、集英社文庫
- 『あのポプラの上が空』講談社 1989年9月22日 第一刷発行 のち文庫
- 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』小学館 1989 のちライブラリー、文庫
- 『母』角川書店 1992 のち文庫
- 『夢幾夜』角川文庫 1993
- 『銃口』小学館 1994 のち文庫
- 『命ある限り』角川書店 1996 のち文庫
- 『雨はあした晴れるだろう』北海道新聞社 1998 のち角川文庫
三浦綾子記念文学館 北海道旭川市神楽7条8-2-15 0166-69-2626
※注:このサイトは、三浦綾子に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
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