黙祷(もくとう)とは

【バンクシーの”2度目の死”の意味】

 私たちが無言のまま心の中で祈る、黙祷(もくとう)を捧げるときに何を考えていますか? バンクシー(有名な路上芸術家)も唱える「2度目の死が本当の死」の考え方が関与しています。

目次

“人に忘れられる”-2度目の死の意味

私たちが無言のまま心の中で祈る、黙祷(もくとう)を捧げるときに何を考えていますか? 

ほとんどの場合は、追悼する人達を記憶から完全に消さない” という意味から亡くなった人を思い出して祈ります。

これは、「“人は死んだ後に、生きている人達の記憶から完全に消えた時” が本当の死を意味する」 という考え方が大きく関与しています。

黙禱

欧米では、2度目の死 (英語リンク)を意識するのはユダヤ教とキリスト教で 人々が救われるとき2度目の死の対象にはならない” とされます。

  ※ちなみに、キリスト教とユダヤ教を合わせると世界人口の1/3(32%程度)で世界最大です。

つまり多くの人が自分の死後に人に忘れられることは罪が深い人という考え方のようです。

ヘミングウェイ(小説家・詩人)

「すべての人は、地面に埋葬されたときと、最後に誰かが自分の名前を言ったとき、の2度の死があります。そういう意味では人間は不滅になる可能性があります。」

“Every man has two deaths, when he is buried in the ground and the last time someone says his name. In some ways men can be immortal.”

ヘミングウェイ

バンクシー(路上芸術家)

「あなたは度死ぬと言います。1度目は呼吸を止めたとき、目は少し後で、誰かが最後にあなたの名前を言ったときです。」

“I mean, they say you die twice. One time when you stop breathing and a second time, a bit later on, when somebody says your name for the last time.” Banksy

バンクシー

メキシコ人の死生観

「私たちの伝統では、人々は3度の死を迎えます。最初の死は、私たちの体が機能しなくなったときです。それは心臓が自分の意志で鼓動しなくなったとき、私たちの視線が深さや重さを失ったとき、私たちが占める空間がゆっくりと失われたときです。2度目の死は、体が地面に降ろされ、母なる地球に戻って見えなくなったときに起こります。3度目の死、最も決定的な死は、私たちを覚えている人が誰もいなくなったときです。」

人生の永遠性

従来は、一部の偉人が歴史を残せるだけで、一般人の2度目の死は “自分の親族がいなくなったとき” で、親族がいなければ葬儀後すぐに訪れます。

昨今ではインターネットの普及により、この2度目の死という考えから “人生の永遠性” を “仮想空間上の思い出の場”  で作る、という活動が生まれ始めています。

ここでは誰もが未来に歴史を残せるような共同墓地を目指し、それぞれの歴史(人生)がグローバルな参加者と提供者のネットワークで保持されています。

※インターネット上で永代保持できる仕組みは、ネット墓Web2.0でのオンラインメモリアルサイト)や、メタバース上のお墓Web3.0NFT)と言います。特にNFTは200年以上長期間保存できる技術でデジタルデータで歴史を残すことができます。

※インターネット上で永代保持できる仕組みは、ネット墓Web2.0でのオンラインメモリアルサイト)や、メタバース上のお墓Web3.0NFT)と言います。特にNFTは200年以上長期間保存できる技術でデジタルデータで歴史を残すことができます。

シニアの自分なりの社会貢献

  私たちが先人の生き方・経験・習慣から学んだように “人生の思い出” は後世の知恵となります。つまり、自分の想いや経験が社会貢献になります。

  デジタルデータで残る人生は、世界の誰でもアクセスでき、それぞれ優劣がなく触れた人を温かくしたり 勇気づけたり 考えさせたりする特徴があるからです。

社会貢献の内容 “自分の歴史を残す”

  • お世話になった人や自分の家族親戚への感謝を伝える
  • 大切な人と一緒に育組んできた人生の苦労や喜びを共有する
  • 愛する孫・子供などに伝えられなかった想いを残す
  • 沢山の思い出を通して未来の子孫に伝えたいものを継承する
  • 自分の人生の目的や生き方に触れる機会を未来に与える
  • 自分なりに一生懸命生きた歴史を知ってもらい役に立ててもらいたい
  • 授かった素晴らしい人生に感謝を伝える

人生の意味や目的は “人生は思い出作り” と “自分なりの社会貢献” と言われてます。

デジタル化は自分の人生のあゆみを「残す・残さない」を選べる時代になりました。そして、思い出を自分だけの物にするのも、未来に活用してもらい社会貢献とするのも本人次第です。

まとめ

一部には、人生のとらえ方により「自分の歴史は全て消してほしい」と言う方がいるのも事実です。家族や子供がいないため伝える人がいない、自分の人生に自信が無い人に多い傾向です。

海外ではよく、“存在する”  か  “生きている" と言われます。 (Exist vs. Live)

私たちは自分の信念のために一生懸命戦って死ぬことも、そうしなかったために死ぬこともあります。どちらの場合も死の現実は同じなので、明るい笑顔で次の存在への旅に出たほうがいいのではないでしょうか。 

そして、「それは本当によい人生だった」と回想できる、みんなの人生の “思い出の場” がヘミングウェイの指摘する人間が不滅になる可能性だと考えます。

多様化する自分らしい生き方と共に、死後の “人生の想いをつなぐ” 2度目の死を迎えるまでの思い出の内容は多様化しています。デジタル化で簡単に人生の想いを残せるようになり、残すか・消すかは自由であり本人や家族の考え方となりました。

そして、いずれを選ぶにしても人生への感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。 

※“4歳の子を亡くしたエリッククラプトンさんのグラミー賞曲ーTears in Heavenーは ”想いで他人を勇気づけたり考えさせたりする” 良い例です”(曲ユーチューブ