承継
軌跡

(生い立ち)

土人形師の父久吉と母スエの間に生まれた。

芸事好きの家族の影響で郷土の民謡である江州音頭河内音頭を子守唄代わりに育つ。

大阪市立生魂小学校に通う。この頃の同級生、文芸クラブの仲間に後の国際法学者安井郁がいた。

小学生のころから音楽の才能を発揮したが、学校を卒業後は商人になるためと、昼は働き夜は大阪市立実践商業学校に通うという日々を送る。姉の勧めで、好きな音楽をやりながら給金がもらえる、千日前の鰻料理店のいづもやが宣伝のために結成した『出雲屋少年音楽隊』に一番の成績で入隊する。しかしその2年後に、第一次大戦後の不景気もあって音楽隊は解散してしまう。なお、当初はオーボエを担当したが、粗悪な楽器で満足に音が出ず、サックスとフルートに転向してから著しく進歩を見せたと、後に述懐している。