この追悼サイトは、 植木 等(俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト)さまのために作成されました。
享年81歳 、誕生日 1926年2月25日、命日 2007年3月27日
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植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1926年12月25日[注釈 1] - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。仲間内での愛称は「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。
長男は作曲家の比呂公一。妹の夫に部落問題研究者の川村善二郎。御木本幸吉は、父方の祖母の親類にあたる[2]。

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享年81歳 、誕生日 1926年2月25日、命日 2007年3月27日
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植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1926年12月25日[注釈 1] - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。仲間内での愛称は「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。
長男は作曲家の比呂公一。妹の夫に部落問題研究者の川村善二郎。御木本幸吉は、父方の祖母の親類にあたる[2]。
来歴[編集]
- 1927年(昭和2年)2月25日 - 父・植木徹誠、母・いさほの三男として愛知県名古屋市に生まれる[3]。父・植木徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。
- 実際の生年月日は1926年12月25日、大正天皇が崩御した日である[4][注釈 2]。理由として植木本人が『徹子の部屋』で語ったところによると、父が出生時にたまたま体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生まれ年が、昭和元年(1926年12月25日 - 12月31日)を飛び越え、昭和2年(1927年)になってしまったという。「3年ぶりに届けが出されたみたいなもの」と笑い飛ばし、後年のタレント活動においては、大正生まれよりも昭和2年のほうが若いイメージになることを幸いとも感じていた。
- 3歳の頃、父親が浄土真宗の一つである真宗大谷派常念寺の住職となり移住。移住先は、母親のいさほ(旧姓:小幡・1903年〜1953年)の実家である真宗大谷派西光寺がある三重県度会郡小俣町(現在の伊勢市の一部)の近く。なお、公式ホームページでは出身地を移住先である三重県としている。また一部の文献では出身地を当時の町名である小俣町や現在の市名である伊勢市としているものもある。
- 1939年 - 僧侶としての教修をするべく、東京・駒込の真浄寺へ小僧になるため上京。
- 1944年 - 旧制京北中学校卒業後、東洋大学専門部国漢科に入学。在学中からバンドボーイのアルバイトを始める。
- 1946年 - テイチクレコードの新人歌手コンテストに合格。
- 1947年 - 3月に東洋大学専門部国漢科卒業後、東洋大学文学部(旧制)入学。
- 1954年 - オペラ歌手の平山美智子からクラシックの発声レッスンを受けていた折、ギタリストを探していたフランキー堺に誘われ、「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に参加。ここでギタリストとしてではなく、「でたらめスキャット」など、コメディー・リリーフとしての才能を開花させる。当初、「日劇での1ステージだけ」という約束がそのまま残留を請われ、この時点で「ニュー・サウンズ」は解散となる。
- 1957年3月1日 - 1955年フランキーが俳優に転身し日活に引き抜かれたことで、既に1956年2月、シティ・スリッカーズから移籍していた谷啓らのいるキューバン・キャッツに移籍。その主要メンバーの一人として活躍し、ジャズ喫茶などで人気を博す(のちにバンド名を「ハナ肇とクレージーキャッツ」に改称)。既に知己だったリーダーの野々山定夫(ハナ)は当初からシティ・スリッカーズのような「コメディー路線」を志向していた。
- 1959年 - クレージーキャッツの一員として、フジテレビのTV番組『おとなの漫画』に出演。
- 1961年 - クレージーキャッツの一員として、日本テレビの番組『シャボン玉ホリデー』に出演し、コントでの演技や、歌、「お呼びでない?…こりゃまた失礼いたしました!!!」などのギャグで、爆発的な人気を得る。
- 1962年 - 古沢憲吾監督の東宝映画『ニッポン無責任時代』に出演し、大ヒット。以降、「無責任男」をキャッチフレーズに数多くの映画に出演。『スーダラ節』『ドント節』をはじめ数々のコミックソングをヒットさせた。
- 1964年 - 映画『無責任遊侠伝』撮影中の1月、過労が原因によるウイルス性肝炎で約1か月入院。同時期に付き人兼運転手として松崎雅臣(小松政夫)が採用される。
- 1987年 - 『新・喜びも悲しみも幾歳月』で、キネマ旬報ベスト・テン助演男優賞、第10回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。
- 1989年 - 主演ドラマ『名古屋嫁入り物語』放送。1998年まで計10作作られる人気シリーズとなった。
- 1990年 - 自身の企画で、ヒット曲をメドレーにして歌った『スーダラ伝説』を発売。話題を呼び、この年のNHK紅白歌合戦に1967年以来2度目の出場を果たし、歌手別最高視聴率56.6%を叩き出す。さらにオリコントップ10入りも果たすという大記録を打ち立てた。その余波で高額納税者番付・芸能人部門でもトップ10入りを果たし、さらに記録を作った。不動産売却以外では還暦を過ぎてのランクインは他に例がない。
- 1991年 - 4月7日より毎日放送制作のトークバラエティ番組『植木等デラックス』放送開始(1992年10月4日まで)。
- 1992年 - 全国12か所でコンサートツアー『今日もやるぞやり抜くぞ!』を開催。
- 1993年11月3日 - 紫綬褒章受章。
- 1996年 - 『あした』で、日刊スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞。
- 1997年 - 連続テレビ小説『甘辛しゃん』に出演中の頃から肺気腫を患う[5]。その影響で「思うように声が出なくなった」とこの年でコンサート活動に終止符を打つ。
- 1999年4月29日 - 勲四等旭日小綬章受章。
- 2003年 - 肺気腫の症状が悪化。酸素ボンベを携帯するようになる。俳優活動は続けるものの、体力低下のため舞台公演が出来なくなる。
- 2005年 - クレージーキャッツ+Yuming (松任谷由実) 名義で発売された『Still Crazy For You』の録音に参加。曲の間奏での松任谷とのセリフのかけ合いを収録する。
- 2006年12月21日 - 朋友である青島幸男の通夜に、酸素ボンベをつけて車椅子で参列。これが公の場への最後の出席となる。植木本人はこの頃自身の健康状態が深刻なことを理解し、延命治療はしないよう夫人らに告げていた。
- 2007年 - 1月に食欲不振を訴え入院。一時帰宅するが肺気腫悪化のため再入院。3月27日午前10時41分、肺気腫による呼吸不全のため都内の病院で死去。80歳没[5]。法名は「宝楽院釋等照」。墓所は小平霊園。
- 主な出演[編集] 映画[編集]
→「クレージー映画」も参照
- 初恋カナリヤ娘 (1955年、日活) - バンドマン、マラカスを持って踊っている ※ノンクレジット
- どんと行こうぜ(1959年、松竹)
- 足にさわった女(1960年、大映)
- ああ女難(1960年、東宝) - 巡査
- 腰抜け女兵騒動(1961年、東宝) - 植村伍長
- 大当たり三代記(1961年、松竹)
- スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ(1962年、大映)
- サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ(1962年、大映)
- 女難コースを突破せよ(1962年、東宝) - 原田
- 如何なる星の下に(1962年、東宝) - 大屋五郎
- 私と私(1962年、東宝) - 上田マネージャー
- 夢で逢いましょ(1962年、東宝) - 植村
- 若い季節(1962年、東宝) - 植木宣伝係長
- 女に強くなる工夫の数々(1963年、東宝) - 野口等
- ハイハイ3人娘(1963年) - 間宮甲太郎
- 続・若い季節(1964年) - 理髪店の客
- 君も出世ができる(1964年) - 酔ったサラリーマン
- 馬鹿まるだし(1964年、松竹)※ノンクレジット
- 喜劇 負けてたまるか!(1970年、東宝) - ナレーター
- 喜劇 泥棒大家族 天下を盗る(1972年) - 主演
- 喜劇 ここから始まる物語(1973年)- 主演
- 水戸黄門(1978年)
- 本日ただいま誕生(1979年、降旗康男監督)- 大沢雄平
- 思えば遠くへ来たもんだ(1980年、朝間義隆監督) その他、多数
テレビドラマ[編集]
- OK横町に集まれ(1957年、日本テレビ) - 植木等初単独作
- 男嫌い(1963年、日本テレビ)
- おれの番だ!(1964年 - 1967年、TBS) - ハナ肇、谷啓、藤田まことと交代で主演
- NHK劇場 大市民(1966年、NHK総合) - 主演:村上
- おきあがりこぼし(1970年、日本テレビ)
- ひとごろし(1970年3月8日、TBS) - 主演:双子六兵衛
- 植木等のそれ行けドンドン(1970年、TBS)
- 赤ひげ 第33話「氷の下の芽」(1973年、NHK総合)
- 長谷川伸シリーズ「江戸の花和尚」(1973年、NET) - 主演:熊んべ(花和尚)
- 若さま侍捕物手帖 第15話「あの世からの落し物」(1973年、関西テレビ) - 河内山宗俊 役
- ぶらり信兵衛 道場破り 第1話「人情裏長屋」(1973年、フジテレビ)
- 百年目の恋(1973年 - 1974年、読売テレビ) - 友吉
- 右門捕物帖 第10話「真実」(1974年、NET)
- 幡随院長兵衛 第17話「大江戸無責任男」(1974年、NET) - 直次郎 その他、多数

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