日本のスキージャンプ界を代表するレジェンド、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
スキージャンプ界のレジェンド、笠谷幸生さん!金メダルに輝いた栄光の軌跡
- 笠谷さんは、1972年札幌オリンピックで金メダルを獲得し、日本のスキージャンプ界に新たな時代を築き上げた偉大な選手でした。
- その後の指導者としての活動でも、多くのジャンパーを育成し、日本のスキージャンプ界の発展に大きく貢献されました。
- 笠谷さんの功績は、日本のスキージャンプ史に永遠に刻まれるでしょう。
スキージャンプ界のレジェンド、笠谷幸生さん!金メダルに輝いた栄光の軌跡
- 1943年8月17日、北海道余市郡大江村(現余市町)生まれ
- 1972年、札幌オリンピックで金メダルを獲得
- 1972年、全日本選手権優勝
- 1973年、HAKUBAジャンプ週間優勝
- 1974年、ラハティスキーゲームズ優勝
- 1998年、長野オリンピックスキージャンプ競技 国際飛型審判員
- 2003年、紫綬褒章
- 2018年、文化功労者
https://www.nhk.jp/p/anohito/ts/K15V8PLV63/
2024.11.23. 17時40分からNHK あの人に会いたい という番組で、笠谷幸生さんがご紹介されるそうです。
2024.11.23. 17時40分からNHK あの人に会いたい という番組で、笠谷幸生さんがご紹介されるそうです。
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メッセージ
https://www.nhk.jp/p/anohito/ts/K15V8PLV63/
2024.11.23. 17時40分からNHK あの人に会いたい という番組で、笠谷幸生さんがご紹介されるそうです。
2024.11.23. 17時40分からNHK あの人に会いたい という番組で、笠谷幸生さんがご紹介されるそうです。
アルバム
北海道新聞掲載記事(ゴルゴ13)に間違われた?
笠谷さんとスーパーニッカウヰスキー
ジャンプ少年団へバトンリレー
長野オリンピックジャンプ金メダリストチーム
笠谷さんより次の空へのメッセージ
大倉山シャンツェより
大倉山シャンツェ
笠谷幸生
報告
笠谷さんがあの「ゴルゴ13」に間違われたエピソード
故 笠谷幸生氏 天上への離陸を見守る会にて初披露した笠谷さんのエピソードです。
笠谷さんの略歴紹介に会場爆笑!
遂にばらした、私だけが知っている、笠谷さん生涯最大の危機
その時、私は言いました!
日の丸、つけてないよね!
それなら大丈夫、笠谷さんほら、よく街角にある、磔にされたキリストに似てるから、ヨーロッパ人のカメラマンだと思われてるって!
この変な慰めを笠谷さんは複雑な顔で聞いていました!
今日までこの話を封印したのは、話が話だし、その国の大統領が噛んでいるし、下手に書いて国際問題になるのを恐れたし!??
上記文 笠谷幸生さんお別れの会「天上への離陸を見守る会」実行委員代表:伊藤龍治
笠谷幸生氏は、何故にこれほど愛されたのか?
笠谷幸生氏、北海道新聞続報
笠谷幸生氏は、何故にこれほど愛されたのか?
笠谷幸生氏は、何故にこれほど愛されたのか?
昔、ジャンプ界の先輩、後輩がタバコの吸い殻を雪の上に捨て撒くっていた頃、笠谷さんはそっと近づき、これ使えと携帯灰皿を手渡した。誰が見ているか分からないからな、、
それ以来、ジャンプ場は見違えるように綺麗になった。
原田雅彦君がいう、私が途方に暮れた時、笠谷さんに救われたというのを私は知っている。原田君は1983年世界チャンピオン、1994年リレハンメル五輪団体戦で墜落し、日本は限りなく金に近い銀メダル獲得!
1985年、カナダ、サンダーベイ世界選手権。
前回大会優勝者は無条件で出場できるのだが、原田君は優勝者から20m遅れで失格。岡部、斎藤君がワンツーフィニッシュで大喜びする脇を、原田君は一人で山を降りた。バスに乗ろうと曲がった瞬間、そこに笠谷さんが待っていたのだ。
今日の岡部、斎藤の金、銀は、君が前回金を取ってくれたから繋がったんだ!
胸張って帰ろよ!
この一言が原田君を長野五輪に導いたのだ。
笠谷幸生さんは、愛を持って、どれだけ多くの後輩を育てたのだろうか!
笠谷幸生は、永遠である!
上記文 笠谷幸生さんお別れの会「天上への離陸を見守る会」実行委員代表:伊藤龍治氏
生涯「笠谷幸生のワックスマン」
故 笠谷幸生氏 天上への離陸を見守る会 参会者が感動した場面とは!
大勢の方が教えてくれました!
笠谷氏奥様、則子様の御礼のご挨拶
笠谷さんの肺気腫との長い闘いを赤裸々にお話しくださいました。皆様、驚かれたと思いますが、間違いなく皆様の胸を撃ちました。
松山千春さんのご遺族へのお心遣い、特に則子奥様への献花時のエスコートの見事さは多くの皆様に感動を与えてくださいました。
献花に心を寄せてくださった、札幌市立新川高校吹奏楽部、クラリネット-アンサンブルの演奏は、間違いなく全員に感動を与えて下さいました。
特に、虹と雪のバラード、千の風になって、ふるさと、ひこうき雲、の連続演奏時、指揮者の米田先生がカメラマンの邪魔にならないようにと、しゃがみ込んだままで指揮を続けて下さった姿は、心を撃たれました。
多くの人々の真心が結集しました!
これだけ多くのメダリスト、日本代表が一堂に会したのは、しかも彼らが揃って裏方を嬉々として務めたというのは前代未聞、この先恐らく二度とないことでしょう!
笠谷幸生さんの離陸は見守りました。
着陸斜面、ランディングバーンを用意すれば、いつでも笠谷幸生さんは世界一と云われたあのフォームで、貴方の下に舞い降りてくれるでしょう!
上記文 笠谷幸生さんお別れの会「天上への離陸を見守る会」実行委員代表:伊藤龍治