この追悼サイトは、 藤田 まさと(作詞家、「流転」「岸壁の母」「傷だらけの人生」さまのために作成されました。
享年74歳 、誕生日 1908年5月12日、命日 1982年8月16日
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藤田 まさと(ふじた まさと、1908年5月12日 - 1982年8月16日[1])は、静岡県榛原郡川崎町(現・牧之原市)出身の作詞家。
本名・藤田正人。
1918年(大正7年)旧満州の遼寧(辽宁:りゃおにん)省大連に渡り、1926年(大正15年)大連商業学校卒。大連商時代には、野球で甲子園に出場している。内地に戻り、明治大学に入学したが、1928年(昭和3年)、3年生で大学を中退し、日本ポリドール蓄音機株式会社に入社する。
制作部長、文芸部長を歴任しながら作詞活動も行い、1935年(昭和10年)、「旅笠道中」、「明治一代女」の大ヒットで一躍人気作詞家となった。
戦後も「岸壁の母」「傷だらけの人生」「浪花節だよ人生は」などのヒット曲がある。
1979年(昭和54年)には、自身も歌手としてデビューしている。
1982年(昭和57年)8月16日死去。享年74。
1970年(昭和45年)、日本作詩大賞受賞。
1973年(昭和48年)、第15回日本レコード大賞特別賞受賞。
1978年(昭和53年)、第20回日本レコード大賞特別賞受賞。
1978年(昭和53年)、勲三等瑞宝章受章。
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享年74歳 、誕生日 1908年5月12日、命日 1982年8月16日
※ 藤田さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
藤田 まさと(ふじた まさと、1908年5月12日 - 1982年8月16日[1])は、静岡県榛原郡川崎町(現・牧之原市)出身の作詞家。
本名・藤田正人。
経歴[編集]
1908年(明治41年)川崎町細江に生まれる。1918年(大正7年)旧満州の遼寧(辽宁:りゃおにん)省大連に渡り、1926年(大正15年)大連商業学校卒。大連商時代には、野球で甲子園に出場している。内地に戻り、明治大学に入学したが、1928年(昭和3年)、3年生で大学を中退し、日本ポリドール蓄音機株式会社に入社する。
制作部長、文芸部長を歴任しながら作詞活動も行い、1935年(昭和10年)、「旅笠道中」、「明治一代女」の大ヒットで一躍人気作詞家となった。
戦後も「岸壁の母」「傷だらけの人生」「浪花節だよ人生は」などのヒット曲がある。
1979年(昭和54年)には、自身も歌手としてデビューしている。
1982年(昭和57年)8月16日死去。享年74。
受賞[編集]
1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章。1970年(昭和45年)、日本作詩大賞受賞。
1973年(昭和48年)、第15回日本レコード大賞特別賞受賞。
1978年(昭和53年)、第20回日本レコード大賞特別賞受賞。
1978年(昭和53年)、勲三等瑞宝章受章。
作詞一覧[編集]
代表曲[編集]
- 『街の流れ鳥』(昭和8年8月)[山田栄一作曲、歌:渡辺光子]
- 『下田しぐれ』(昭和10年2月)[森義八郎作曲、歌:東海林太郎]
- 『旅笠道中』(昭和10年4月)[大村能章作曲、歌:東海林太郎]
- 『丹下左膳の唄』(昭和10年7月)[阿部武雄作曲、歌:東海林太郎]
- 『お伝地獄の唄』(昭和10年8月)[大村能章作曲、歌:新橋喜代三]
- 『博多小女郎波枕』(昭和10年9月)[大村能章作曲、歌:東海林太郎]
- 『お駒恋姿』(昭和10年10月)[大村能章作曲、歌:東海林太郎]
- 『明治一代女』(昭和10年11月)[大村能章作曲、歌:新橋喜代三]
- 『国定忠治の歌』(昭和11年2月)[大村能章作曲、歌:東海林太郎]
- 『妻恋道中』(昭和12年4月)[阿部武雄作曲、歌:上原敏]
- 『流転』(昭和12年7月)[阿部武雄作曲、歌:上原敏]
- 『鴛鴦道中』(昭和13年1月)[阿部武雄作曲、歌:上原敏、青葉笙子]
- 『関の弥太っぺ』(昭和13年6月)[阿部武雄作曲、歌:高田浩吉]
- 『麦と兵隊』(昭和13年12月)[大村能章作曲、歌:東海林太郎]
- 『潮来夜船』(昭和14年9月)[倉若晴生作曲、歌:北廉太郎]
- 『大利根月夜』(昭和14年11月)[長津義司作曲、歌:田端義夫]
- 『爆弾位は手で受けよ』(昭和16年)[江口夜詩作曲、歌:上原敏、浅草〆香、近江志郎、日本橋きみ栄、田端義夫、高山美枝子、三丁目文夫、藤原千多]
- 『軍国舞扇』(昭和16年10月)[陸奥明作曲、歌:東海林太郎、台詞森赫子]
- 『岸壁の母』(昭和29年10月)[平川浪竜作曲、歌:菊池章子 [2]]
- 『旅笠道中』(昭和33年5月)[春川一夫作曲、歌:三波春夫]
- 『一本刀土俵入り』(昭和35年2月)[春川一夫作曲、歌:三波春夫]
- 『桃中軒雲右衛門』(昭和35年4月)[長津義司作曲、歌:三波春夫]
- 『まつの木小唄』(昭和40年2月)[夢虹二作詞共作、不詳作曲、歌:二宮ゆき子][3][4]。
- 『信玄おどり』(昭和41年4月)[長津義司作曲、歌:三波春夫]
- 『ご存知右門ここに居る』(昭和44年10月) [春川一夫作曲、歌:三波春夫]
- 『恋ひとすじ』(昭和45年2月)[猪俣公章作曲、歌:森進一]
- 『傷だらけの人生』(昭和45年12月)[吉田正作曲、歌:鶴田浩二]
- 『次郎長笠』(昭和46年2月)[吉田正作曲、歌:橋幸夫]
- 『男』(昭和46年7月)[吉田正作曲、歌:鶴田浩二]
- 『女の詩集』(昭和46年12月)[鶴岡雅義作曲、歌:鶴岡雅義と東京ロマンチカ]
- 『歳月』(昭和47年2月)[猪俣公章作曲、歌:鶴岡雅義と東京ロマンチカ]
- 『旅鴉』(昭和47年11月)[遠藤実作曲、歌:五木ひろし]
- 『ある女の詩』(昭和47年11月)[井上かつお作曲、歌:美空ひばり]
- 『今日も笑顔でこんにちは』(昭和49年7月)[新井利昌作曲、歌:森昌子]
- 『灯りが欲しい』(昭和52年9月)[遠藤実作曲、歌:五木ひろし]
- 『男の人生』(昭和54年5月)[遠藤実作曲、歌:杉良太郎]
- 『ひとりしずか』(昭和54年12月)[浜圭介作曲、歌:内山田洋とクール・ファイブ]
- 『しあわせ音頭』(昭和57年7月)[細野晴臣作曲、歌:柏原芳恵]
- 『浪花節だよ人生は』(昭和59年8月)[四方章人作曲、歌:木村友衛][5]
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