この追悼サイトは、 山村 美紗(小説家・推理作家)さまのために作成されました。
享年65歳 、誕生日 1931年8月25日、命日 1996年9月5日
※ 山村さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
山村 美紗(やまむら みさ、1931年[1]8月25日[2][3] - 1996年9月5日[2])は、日本の小説家、推理作家。父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信[4]、4人姉弟の長女であり、弟は政治学者で北海道大学名誉教授の木村汎[1][5]、他に妹が2人いる[6]。夫は東山高校の元数学教師で、退職後画家に転身した[7][8][9](作品は亡妻の肖像画が主。死別後一般女性と再婚した)山村巍(たかし)(1928年 - 2022年)。長女は俳優の山村紅葉[10]。
京都府京都市生まれ[3]。父親が朝鮮総督府京城法学専門学校校長事務取扱に任じられ終戦まで朝鮮に在住したため、山村も日本統治下の朝鮮・京城(現在のソウル)で育ち、京城師範付属小学校、京城第一高女へと進学していた[6]。帰国後、ぜんそく病で家で臥せっている時期もあったが[6]、1957年、京都府立大学女子短期大学部を経て[1]文学部国文科を卒業[2]。1964年まで京都市立伏見中学校で国語教師として教職に就く[2][7]。数学教師だった山村巍と結婚後に退職[1]。1967年頃から小説創作を始め、1970年に「京城の死」で江戸川乱歩賞候補、翌年の1971年に「死体はクーラーが好き」が小説サンデー毎日新人賞候補となり、その後1974年に『マラッカの海に消えた』で作家としてメジャーデビューを果たした[2]。1983年に『消えた相続人』で日本文芸大賞を受賞した[1]。
1996年9月5日、心不全のため急逝[2]、65歳没[2][11][注釈 1]。滞在していた東京都千代田区の帝国ホテルのスイートルームにて執筆中に亡くなった[1][2]。 4日後のザ・ワイドで告別式が中継された[12]。
弟の木村汎は山村の没後、『北海道新聞』1996年10月25日付けのコラム「弟から見た素顔の山村美紗」を発表した[注釈 2]。また、2020年に作家の花房観音が著書『京都に女王と呼ばれた作家がいた』を通じて、山村の評伝に挑んでいる[1]。
国内におけるミステリー界の女王やトリックの女王と呼ばれ[2]、日本のアガサ・クリスティとも讃えられた[13]。
京都を舞台とした作品が多く、著作は多数。その作品の多くはテレビドラマ化されている。華道(池坊準華監)や茶道の師範免状、日本舞踊の名取(花柳流)を持ち、作品の舞台としても多く登場する。
推理作家の西村京太郎との出会いは、まだ売れていない頃の西村に山村がファンレターを送ったことが縁となった[14]。山村がハガキに「夏休みを利用して北海道を一人でドライブします」と書いたところ、西村が女子大生だと勘違いし、山村の住む京都まで自ら会いに出向いた事が発端で2人の交友が始まり[14]、のちに山村は西村と共同で嘗て旅館であった建物を購入している[5]。西村は山村と自身との関係をモデルに私小説『女流作家』『華の棺』を発表しており、「山村美紗さんに本書を捧げる」と帯に記載された。また、長女で女優の山村紅葉は美紗の作品に加えて西村原作のドラマに多く出演している[10]。
作品リスト[編集]キャサリンシリーズ[編集]
山村美沙邸 山村紅葉さんの母であり、ミステリーの女王と呼ばれた山村美沙さんが西
村京太郎氏と共同で購入した元高級料亭旅館
京都市東山区清閑霊山町 ※清水寺の裏にあたります
別館と本館という造りなので山村宅と西村宅との間には、お互いの家を自由に行き来で
きる渡り廊下が存在します。
※注:このサイトは、山村美紗に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
享年65歳 、誕生日 1931年8月25日、命日 1996年9月5日
※ 山村さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
山村 美紗(やまむら みさ、1931年[1]8月25日[2][3] - 1996年9月5日[2])は、日本の小説家、推理作家。父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信[4]、4人姉弟の長女であり、弟は政治学者で北海道大学名誉教授の木村汎[1][5]、他に妹が2人いる[6]。夫は東山高校の元数学教師で、退職後画家に転身した[7][8][9](作品は亡妻の肖像画が主。死別後一般女性と再婚した)山村巍(たかし)(1928年 - 2022年)。長女は俳優の山村紅葉[10]。
京都府京都市生まれ[3]。父親が朝鮮総督府京城法学専門学校校長事務取扱に任じられ終戦まで朝鮮に在住したため、山村も日本統治下の朝鮮・京城(現在のソウル)で育ち、京城師範付属小学校、京城第一高女へと進学していた[6]。帰国後、ぜんそく病で家で臥せっている時期もあったが[6]、1957年、京都府立大学女子短期大学部を経て[1]文学部国文科を卒業[2]。1964年まで京都市立伏見中学校で国語教師として教職に就く[2][7]。数学教師だった山村巍と結婚後に退職[1]。1967年頃から小説創作を始め、1970年に「京城の死」で江戸川乱歩賞候補、翌年の1971年に「死体はクーラーが好き」が小説サンデー毎日新人賞候補となり、その後1974年に『マラッカの海に消えた』で作家としてメジャーデビューを果たした[2]。1983年に『消えた相続人』で日本文芸大賞を受賞した[1]。
1996年9月5日、心不全のため急逝[2]、65歳没[2][11][注釈 1]。滞在していた東京都千代田区の帝国ホテルのスイートルームにて執筆中に亡くなった[1][2]。 4日後のザ・ワイドで告別式が中継された[12]。
弟の木村汎は山村の没後、『北海道新聞』1996年10月25日付けのコラム「弟から見た素顔の山村美紗」を発表した[注釈 2]。また、2020年に作家の花房観音が著書『京都に女王と呼ばれた作家がいた』を通じて、山村の評伝に挑んでいる[1]。
国内におけるミステリー界の女王やトリックの女王と呼ばれ[2]、日本のアガサ・クリスティとも讃えられた[13]。
京都を舞台とした作品が多く、著作は多数。その作品の多くはテレビドラマ化されている。華道(池坊準華監)や茶道の師範免状、日本舞踊の名取(花柳流)を持ち、作品の舞台としても多く登場する。
推理作家の西村京太郎との出会いは、まだ売れていない頃の西村に山村がファンレターを送ったことが縁となった[14]。山村がハガキに「夏休みを利用して北海道を一人でドライブします」と書いたところ、西村が女子大生だと勘違いし、山村の住む京都まで自ら会いに出向いた事が発端で2人の交友が始まり[14]、のちに山村は西村と共同で嘗て旅館であった建物を購入している[5]。西村は山村と自身との関係をモデルに私小説『女流作家』『華の棺』を発表しており、「山村美紗さんに本書を捧げる」と帯に記載された。また、長女で女優の山村紅葉は美紗の作品に加えて西村原作のドラマに多く出演している[10]。
作品リスト[編集]キャサリンシリーズ[編集]
詳細は「キャサリンシリーズ」を参照
祇園舞妓・小菊シリーズ[編集]- 都おどり殺人事件 1985.11
- 京舞妓殺人事件 1986.4
- 京都花見小路殺人事件 1986.8
- 京都東山殺人事件 1987.4
- 伊豆修善寺殺人事件 1991.9
- 京都西大路通り殺人事件 1995.11
- 赤い霊柩車 1990.11
- 華やかな誤算 1992.9
- 猫を抱いた死体 1993.6
- 毎月の脅迫者 1994.7
- 大江山鬼伝説殺人事件 1996.10
- 京都殺人地図 1980.10 少女は密室で死んだ,偽装の殺人現場,消えた配偶者,水仙の花言葉は死,几帳面な殺人者,溺れた女,首のない死体,骨の証言
- 扇形のアリバイ 1984.5
- 京都二年坂殺人事件 1987.8
- 京都清水坂殺人事件 1988.8
- 長崎殺人物語 1991.9
- 故人の縊死により 1992.11
- 寒がりの死体 1994.10
- 宮崎旅行の殺人 1996.9
- 十二秒の誤算 1994.4
詳細は「看護婦・戸田鮎子シリーズ」を参照
- 殺人予告はリダイヤル 1992.6
- レンタル家族殺人事件 1993.3
- 流れ橋殺人事件
- ゴールドコーストの遺品 1994.6
- ポケットベルに死の予告 1995.6
- 大阪国際空港殺人事件 1987.7
- 京都の祭りに人が死ぬ 1981
- ガラスの棺 1983.5
- 京都島原殺人事件 1989.5
- 京都・博多殺人事件 1990.10
- 京都・浜名湖殺人事件 1992.1
- 小京都伊賀上野殺人事件 1993.3
- 娘道成寺殺人事件 1993.8
- 京都・沖縄殺人事件 1995.11
- 京都・出雲殺人事件 1994.6
- 龍野武者行列殺人事件(未完の遺作を西村京太郎が加筆し、完結させた) 1997.5
- 華やかな密室 1984.5
山村美沙邸 山村紅葉さんの母であり、ミステリーの女王と呼ばれた山村美沙さんが西
村京太郎氏と共同で購入した元高級料亭旅館
京都市東山区清閑霊山町 ※清水寺の裏にあたります
別館と本館という造りなので山村宅と西村宅との間には、お互いの家を自由に行き来で
きる渡り廊下が存在します。
※注:このサイトは、山村美紗に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
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