承継
  • 享 年 89歳
  • 誕 生 1933年5月10日 - 兵庫県神戸市須磨区 日本
  • 逝 去 2023年3月9日 -東京都 日本
この想いでサイトは、 扇 千景(おおぎ ちかげ)さまを承継するために作成されました。

享 年 89歳 、誕 生 1933年5月10日、命日 2023年3月9日

※メッセージの投稿や、想いでの共有はサインイン(記帳)で可能になります。
※このサイトで故人への弔意・思い出を自由に投稿することができます。

本名: 林寛子(はやし・ひろこ)
戒名:華扇院妙慧日寛清大姉
墓地:

関連リンク

日本で女性初の参院議長 国交相
本名は林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓は木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。

参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代・第2代)、運輸大臣(第78代)、北海道開発庁長官(第72代)、建設大臣(第69代)、国土庁長官(第36代)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、参議院文教委員長、参議院議員(5期)、保守党党首(初代)、新進党参議院議員会長(第3代)、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)などを歴任した。

位階は従二位、称号は旭日大綬章、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。

夫である四代目坂田藤十郎との間に、歌舞伎役者の長男・四代目中村鴈治郎、次男・三代目中村扇雀がいる。義妹は女優の中村玉緒。

経歴
生い立ち
兵庫県神戸市須磨区に銀行員の父・木村松太郎、母・みさゑの三女として生まれる。兵庫県立神戸高等学校卒業後、大学進学を望んでいたが、父親の強い希望により大学進学をあきらめる。友人が勝手に願書を送付し、受験して合格した宝塚音楽学校に、父親への反発もあり、進学する。

宝塚歌劇団
1954年、宝塚歌劇団に41期生として入団[6]。入団時の成績は4番[6]。星組公演「春の踊り」で初舞台[6]。花組に配属後、映画専科へと異動[6]。宝塚在団中に宝塚映画「快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻」で映画デビュー。以降もテレビドラマや映画に出演し、1956年には「夜霧の女」で春日野八千代の相手役として盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞した。

女優時代
1957年5月31日付[6]で歌舞伎役者の2代目中村扇雀(後の4代目坂田藤十郎)との結婚のため退団。1958年に結婚し、しばらく芸能活動から遠ざかった。知人の薦めにより日本教育テレビ(現テレビ朝日)制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日放送)に出演する。本作品で第14回文部省芸術祭個人奨励賞を受賞し、再デビューする。芸能界に復帰してから映画やテレビドラマなどに多数出演し、1965年の連続テレビ小説『たまゆら』(NHK)や1968年の『大奥』(関西テレビ)、『花は散るらん』(東海テレビ)などに出演した。

フジテレビの主婦向けワイドショー『3時のあなた』で司会を4年間担当したほか、富士フイルム「シングル8」のCMで「わたしにも写せます」のフレーズは人気を集めた。これまでに出演した映画は53作品である。

参議院議員
自由民主党総裁福田赳夫首相や幹事長大平正芳らの要請を受け、1977年7月、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党公認候補として全国区から立候補し初当選する。当時はタレント候補の1人と評された。自民党内では当初、福田率いる清和会に属した。1989年の第15回参議院議員通常選挙では次点で落選したが、1993年に山岡賢次が第40回衆議院議員総選挙立候補に伴い参議院議員を退職(自動失職)したため、繰上当選となった。

1994年に自民党を離党して新生党に入党し、12月10日の新進党結党に参加する。1995年、第17回参議院議員通常選挙比例区で再選した。新進党解党後は小沢一郎率いる自由党結党に参画し、自由党が自民党と連立を組んだことで再び与党議員となった。

2000年4月、与党連立政権を離脱した小沢らと袂を分かち、海部俊樹元首相や野田毅、二階俊博ら25名の議員とともに保守党を結成して初代党首に就任する。

メッセージは千景 (おおぎ ちかげ)...さんへの想いを表すものです。 こちらに最初のメッセージを投稿してください。

メッセージの投稿