承継
この追悼サイトは、 モンキー・ パンチ(漫画家・代表作「ルパン三世」)さまのために作成されました。

享年81歳 、誕生日 1937年5月26日、命日 2019年4月11日
※ モンキー・さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。

モンキー・パンチ本名加藤 一彦(かとう かずひこ)[1]1937年昭和12年〉5月26日 - 2019年平成31年〉4月11日)は、日本漫画家東京工科大学大学院修士課程修了。
筆名として加東 一彦(かとう かずひこ)、ムタ 永二(むた えいじ)、かとう・一彦(かとう かずひこ)といった名義を用いたこともある。


有限会社エム・ピー・スタジオ代表(初代)、デジタルマンガ協会会長(初代)、大手前大学人文科学部教授、大手前大学メディア・芸術学部教授、社団法人日本漫画家協会理事専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問などを歴任した。

1966年、清水編集長の命令でペンネームを「モンキー・パンチ」に改名する[2]。清水が新人に適当に付けた名前なので本人は気に入っておらず、1年ほどで変えるつもりだったが、この名義で翌年に発表した作品が大ヒットしてしまったので変えられなくなった。なお、清水がこの時期に新人に適当に付けた外国人風の名前にはバロン吉元ケン月影などがある。

1967年5月、バロン吉元やケン月影など『漫画ストーリー』の新人漫画家を中心として刊行された『増刊漫画ストーリー アクション特集号』の表紙絵に抜擢され、8月に清水を編集長として新たに創刊された青年向け週刊漫画雑誌『週刊漫画アクション』の表紙絵も引き続いて担当。また、『漫画アクション』8月10日創刊号より「ルブラン原作」表記で『ルパン三世』の連載を始める。これが現在も継続してアニメ化されるほどの大ヒットとなり、出世作にして代表作となった

1980年代以降、サンディエゴ・コミックコンベンションにてインクポット賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞を受賞し、国内外から注目されている。

2003年4月、66歳にして、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と考え、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学し、2005年3月に修了した。

2005年4月より、大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授(2007年4月より、メディア・芸術学部マンガ・アニメーション系)。

2010年5月より、東京工科大学メディア学部客員教授に就任[3]

2015年東京アニメアワード2015・アニメ功労賞を受賞[4]

2016年、「モンキー・パンチとルパン三世」として北海道新聞文化賞を受賞[5]


2017年専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問に就任[6]

2019年4月11日誤嚥性肺炎のため妻にみとられ[7]死去[8][9]。81歳没。 次男[10]で株式会社エム・ピー・ワークス社長[11]の加藤州平が喪主を務めた[12]

おもな漫画作品[編集]
  • 1959年 - 貸本漫画時代
    • ナンバー5+α
    • GANハスラー
    • 反逆児
    • 犯人を挙げろ
    • 公開殺人
    • 秘密工作
    • 殺し屋同盟シリーズ ホープ書房 - 篠原とおるとの2人集として以後同形式にて発刊
      1. 殺し屋同盟 70P
      2. 黒い狼 45P
      3. 影のない男(前編) 45P
      4. 影のない男(後編) 45P
    • ミステリー62 ホープ書房収録作 
      1. マクベスよ復讐せよ 39P
      2. いかす奴 35P
    • ウェスタン(2)ホープ書房収録作
      • エロール・フリン 40P
    • 『怪談クラブ 文洋社収録作 
      • 2 怪談野郎(1) 50P - 加東一彦名義
      • 3 怪談野郎(2) 49P - カトウ一彦名義
      • 4 チャンネルぜろ 43P - かとう一彦プロ名義
      • 5 死メン 43P - かとう一彦名義
      • 6 復讐 43P - かとう一彦名義       
      • 7 古井戸 40P - かとう一彦名義 作品上は「古いど」表記
    • アウトサイダー(1) 文洋社 A5判ソフトカバー単行本収録作、奥付は「全漫プロダクション」名義
      • 殺しのオ時間デス 129P - かとう一彦名義、巻末に1962.11.12表記あり
      • C調刑事さん 125P - かとう一彦名義
    • 0地帯へ来た男 134P 掟風太郎シリーズ(1) 太平洋文庫 - 加藤一彦名義、A5判ソフトカバー単行本、昭和37年9月29日発刊
  • 1966年 -
    • プレイボーイ入門 - マニア・ぐるうぷ(ムタ永二)名義
    • 荒野の無用心棒
    • ピンク・ガードマン…必殺のブルース
    • 呪われたダイヤ - モンキー・パンチ名義 
  • 1967年
  • 1968年
    • ウエスタン侍
  • 1969年
  • 1970年
    • スパイ貴族 - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • ドキュメンチスト
    • ルパン三世外伝
    • TAC・TICS
  • 1971年
  • 1972年
    • 一宿一飯 - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • シャム猫 - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • 摩訶男(原作:牛次郎
    • ムッシュ甲賀(原作:辻真先
    • KEY
    • 囮り屋 なめくじ
    • やる気充分
  • 1973年
    • トテチテ太(原作:牛次郎)
    • どっかんゴクウ
    • ホームズ対ルパン ダイヤのビーナス(加納一朗学研ジュニアチャンピオンコース『名探偵登場』所載)
  • 1974年
    • おれはカザノ派 - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • カラー・ガール - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • ルパン三世 スーパースター
  • 1975年
    • どらきゅらクン
    • UPUPバルーン - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • 逆イソップ物語 - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • サイレント・ウォーキング(「UPUPバルーン」奇想天外文庫に収録時のタイトル。初出は「ヒモ」など不定)
  • 1976年
  • 1977年
  • 1978年
    • アリス・ザ・ワイルド - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • Mrとうめい
    • あに丸大将
    • SFスペース・ソルジャー
  • 1979年
    • 快傑ゼロ
    • 非魔人クラブ
    • オレは“上等”だ~い!!
  • 1980年
  • 1981年
    • ジャッキー&ドンキー
    • ローラーボーイ
  • 1982年
    • 宇宙冒険隊メカベンジャー(原作:首藤剛志
    • シンデレラ・ボーイ - 上記とは別作品
  • 1983年
    • 先公はなび
    • RUNだ!! 乱 (旺文社パソコン誌 マイコンボーイ)
  • 1984年
    • SEXY ルパンⅢ
    • ルパン三世PART3 俺ッ流派無し…!!
    • ラッキーどんきー(北海道新聞 日曜版)
  • 1985年
    • ルパン三世の英会話作戦 キーポイントを盗め!
    • 新ルパン三世 女だけの刑ム所
    • ホット・ブレイク(原作:玉置輝)
  • 1987年
    • ピンキィ・パンキィ - モンキーパンチ漫画活動大写真にてアニメ化
    • ダアティ・ジョオク - 初出不明
    • ジャンピラ
  • 1990年
    • ぎゃくてんデジタル組(毎日中学生新聞)
  • 1991年
  • 1996年
    • ギャルッ子ピーチ(毎日小学生新聞日曜版)
  • 1997年以降
  • モンキー・パンチ・コレクション イメー
  • FIAT500チンクエチェント
  • ルパン三世の愛車「FIAT500 チンクェチェント」実車展示
  • 浜中町総合文化センター内  北海道厚岸郡浜中町霧多布西3条1丁目47 0153-62-3131
※注:このサイトは、モンキーパンチに関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

このメッセージは、 2024年4月20日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
それまでに無かった独特の洋風なおしゃれな漫画「ルパン三世」で一世風靡しました。 登場人物も個性的でファンを魅了しました。     合掌

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メッセージ
このメッセージは、 2024年4月20日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
それまでに無かった独特の洋風なおしゃれな漫画「ルパン三世」で一世風靡しました。 登場人物も個性的でファンを魅了しました。     合掌
軌跡

(生い立ち)

北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)出身。実家は漁師。学生時代は地元唯一の医師である道下俊一の元でレントゲンの助手などを行っており、漫画で患者を和ませていた。北海道霧多布高等学校を経て、東海大学専門学校電気科中退。

(エピソード)

作風が西欧風なのは、国外特にアメリカの雑誌の漫画も読んでいて影響を受けたからと言われる。神田の古書店で『MAD』に出会い、特にモート・ドラッカー英語版)の画風が好きだったという。「モンキー・パンチ」というペンネームは、その西欧風の作風と併せて「どこの国籍の人が描いているか分からなくする」ために(意味のない名をつけたとも語っている[13]、双葉社の『漫画ストーリー』清水文人編集長からつけられた[14][15]。当初、加藤本人はこのペンネームを不満に思い一年ほどの暫定的なペンネームのつもりでいた。『ルパン三世』等の作品の話のラストのコマに書かれているサインはカタカナではなく、ひらがなで「もんきーぱんち.」(「も」はハート型)と書かれている。

浜中町の僻地医療を描いた『プロジェクトX』(NHK)に、道下俊一医師の助手として出演歴あり。ここで紹介された診療所と同名の施設を『ルパン三世』の『健在ルパン帝国』にて登場させたこともある。フジテレビで放送された『潮風の診療所〜岬のドクター奮戦記〜』の中ではモンキー・パンチを世に送り出すきっかけをつくった道下医師の事及び本人の若き日々が描かれていた。