承継
この追悼サイトは、 水野 利八(ミズノ創業者)さまのために作成されました。

享年85歳 、誕生日 1884年5月15日、命日 1970年3月9日
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水野 利八(みずの りはち 1884年明治17年)5月15日 - 1970年昭和45年)3月9日)は、日本の実業家ミズノ創業者。紺綬褒章勲四等瑞宝章受章。二男は水野健次郎水野正人水野明人は孫。

概要[編集]岐阜県大垣市に生まれる。興文小高等科中退。9歳のときに棟梁をしていた父が亡くなり、大阪京都丁稚奉公へ出た。

1903年(明治36年)に京都三高野球クラブの試合を見て、野球の魅力に惹かれ運動用品の商売を志す。1906年(明治39年)に弟の水野利三と大阪市北区水野兄弟商会を創業。当初は運動服を扱っていたが、1913年(大正2年)からは野球用のグラブボールの製造を始めた。

1916年(大正5年)に全国統一の標準球を完成。西洋的なスポーツの普及とともに事業を成長させ、1927年(昭和2年)紺綬褒章受章。昭和初期は中国大陸にも進出。1942年(昭和17年)に社名を美津濃に改称し社長に就任。

戦後はスポーツを通じた復興、青少年の育成にも尽力し、1955年(昭和30年)全国高等学校野球連盟から功労賞を受賞。1956年(昭和31年)に藍綬褒章受章。

1964年(昭和39年)に美津濃全従業員に株を25株ずつ贈与。1969年(昭和44年)に会長に就任。翌1970年(昭和45年)死去、勲四等瑞宝章受章。1971年(昭和46年)に野球殿堂入り。

美津濃十則」 1 )贈物、饗応は受けない 2 )社員間の贈りものはしない 3 )酒席接待で販売する方法はとらない 4 )社員間の自宅訪問は禁止 5 )休日以外のゴルフ禁止 6 )飲酒者の自動車購入禁止 7 )飲酒者が車を購入する場合は専用の運転手を 雇い入れること 8 )他社、他人の保証はしない 9 )会社出入業者から買入れたり建築したりする ときは、会社に届け出 10)社員間の新任、送別会等を、会社以外は禁止 のこと

   【スポーツ大国を目指せ!】ミズノの創業者水野利八の生涯に迫る! | 歴人マガジン ミズノ淀屋橋店(旧大阪店)


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野球殿堂博物館
    野球殿堂博物館  東京都文京区後楽1-3-61  電話:03-3811-3600

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軌跡

(明治時代)


明治17年(1884年)春に岐阜県南西部エリアで誕生(滋賀に近い場所)。

苦労した10代前半・半ばを乗り越えたのち、
19歳の頃に日本対アメリカの試合を見て野球の魅力を知る。
そして、20代前半であった明治39年(1906年)に弟の利三と共にMIZUNOの前身となる
「水野兄弟商会」を大阪市北区で開業。
野球ボールなどを販売をスタートさせるなど、
まずは自身が好きなスポーツである野球事業から事業を発展させる。
翌明治40年(1907年)からはオーダーメイドの運動服事業も開始。

明治43年(1910年)、店を梅田新道に移転すると共に
「水野兄弟商会」という商号を「美津濃商店」へと変更。

夏に明治天皇が亡くなり、明治を大正またぐ形となった
1912年には設立8年で東京に進出。

(大正時代 1912年~)

大正2年(1913年)、野球用グローブやボールの製造をスタートし、
翌年には大型工場を設置して本格的にスポーツ関連商品の製造をはじめた。

1920年代に入ると、ゴルフ・スキーなどの事業にも進出し、
野球用品だけの会社ではなくなった。

(昭和時代 1926年~1970年)

昭和2年(1927年)、大坂の淀屋橋エリアに新本社が完成。

昭和4年(1929年)、欧米視察に出かけた。


昭和17年(1942年)、
「美津濃商店」から「美津濃株式会社」へと商号を変更。

戦後の昭和30年(1955年)、
野球好きの水野利八は長年に功績を高く評価されて
全国高等学校野球連盟から功労賞を授与。
さらに翌昭和31年(1956年)には国から「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を授章するまでになる。


昭和37年(1962年)、美津濃株式会社を東証2部上場へと導く。

昭和44年(1969年)、息子の水野健次郎氏に社長職を譲り、自らは会長に退く。

昭和45年(1970年)春、80代半ばで死去。
翌1971年には野球殿堂入りした。


その後、美津濃株式会社は1972年に東証一部に昇格。
そして、後継者の息子や孫によって世界的なスポーツメーカーへと成長していった。