生い立ち
大阪府西成郡小浜村(現大阪市住吉区東小浜)に生まれた。父・村屋良一、母・琴江の次男である。水木が生まれた時、父・良一は大阪・梅田駅近くの親戚の印刷会社に勤めていた。5歳の時、「死」に興味を持ち、3歳の弟を海に突き落とそうとしたが、近所の大人に見つかって親に叱られ、当時同居していた祖父の姉「ねこ」からお灸をすえられた。比較的恵まれた環境で育ったが、成績は良くなく、両親は小学校への入学を1年遅らせたほどであった。自他ともに認める偏屈な生徒で、夜遅くまで寝て、朝食をゆっくり食べ、学校はたいてい2時間目くらいから出席した。学歴を心配する母親のため、水木の進路に不安を抱きながらも、中等教育の予備校を兼ねた無試験の高等小学校に進学し、その不安も忘れて、この時期には友達と遊び回る子供だった。
戦争を体験
戦争にまつわる話はたくさんある。あまりの悲惨さに、記憶として脳裏に焼き付いているのだろう。確かに、上官に殴られて嵐に巻き込まれた話、片腕を失い麻酔なしで手術された話、敵に後ろから武器を持って追いかけられた話、その他多くの悲惨な話が延々と繰り返される。しかし、暗い描写がいつまでも続くのかと思いきや、そうではない。水木博士はかなり変わり者で、マイペースな人だったようだ。上司にいじめられたこともあったが、あまりの奇抜さとマイペースぶりに、やがて上司も短時間でこなす仕事の多さを知り、見過ごすようになった。点呼に遅れそうになると、他の者が時間通りに来るように世話を焼いたり、仕事をサボっていても見て見ぬふりをしたりした。まるで漫画の主人公のようだ。オウムに憧れて生き延びた話や、トランペットを吹けないために南部の戦地に送られた話などは、まるで運命のいたずらのようである。