この追悼サイトは、 勝 新太郎(俳優・歌手・映画監督)さまのために作成されました。
享年65歳 、誕生日 1931年11月29日、命日 1997年6月21日
※ 勝さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年(昭和6年)11月29日 - 1997年(平成9年)6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。
本名:奥村 利夫(おくむら としお)。身長170cm[2]。血液型O型[3]。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。
勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、数多くの不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された[4][5]。2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートでは、好きな日本映画男優の第4位に選ばれている
1974年から1979年にかけて、座頭市をテレビドラマとして合計4シーズン、全100話を製作(その多くで脚本、演出も担当)するなど、活動は軌道に乗っているように見えたが、この頃からプライベートでのトラブルが多くなり、1978年にはアヘンの不法所持で書類送検される。1979年には映画『影武者』の主役に抜擢されるが、監督の黒澤明と衝突し降板。
1980年に製作したテレビドラマ『警視-K』(日本テレビ系)が完全主義の勝の製作方針などで予算がオーバーし、作品自体も不振で途中打ち切りになるなどした。この影響を受けて勝プロダクションは膨大な赤字を抱えて経営が立ち行かなくなり、1981年に12億円の負債を残し倒産。この時の記者会見で「勝新太郎は負けない」と述べ、借金と戦っていくことを宣言する。翌年、中村玉緒を社長とした「勝プロモーション」を設立するが、1983年には義父・二代目中村鴈治郎が死去するなど不幸が相次いだ。
1989年、自らの製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させたが、長男・雄大(この頃、本名で俳優デビューした)が殺陣の撮影中、斬られ役の役者を誤って真剣で斬りつけ死亡させてしまう。結局これが勝製作の最後の映画となった。勝の出演作品としては1990年、黒木和雄の監督映画『浪人街』が最後となった。
1990年1月16日、勝はアメリカ合衆国ハワイ州のホノルル国際空港で下着にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕される。麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」と述べ、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、結局、誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。帰国した翌年に日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年の有罪判決を受ける。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。この事件以後、俳優活動の場を舞台に移す。
1996年7月に下咽頭癌を発病。手術はせず、抗癌剤と放射線の治療を行なった。入院中も外出を繰り返して寿司や酒を楽しみ、平然と煙草をふかした。約4か月後の記者会見でも「煙草はやめた」と言いながら堂々と喫煙する様を見せた。しかし実際には療養中は禁煙し、会見での喫煙はパフォーマンスだった(煙を肺まで吸い込まず、口元でふかしているだけ)、と中村玉緒や鴈龍は後に振り返っている[13]。
晩年は、トライデントシュガーレスガムのCMにも出演し、死の前年である1996年4月23日には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」にも出演した。最後の舞台は大阪新歌舞伎座で中村玉緒と夫婦役を演じた『夫婦善哉』。
1997年6月21日午前5時54分、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院において下咽頭癌で死去[1][14]。65歳没。
出演作品[編集]映画[編集]
「悪名」1961年 朝吉役、弟分・田宮二郎と共演
座頭市物語発祥の地 千葉県旭市横根
原作は、子母沢寛の短編小説「座頭市物語」です。
兄・若山富三郎と勝新太郎の墓所は、東京都港区三田3-4-7 蓮乗寺
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享年65歳 、誕生日 1931年11月29日、命日 1997年6月21日
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勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年(昭和6年)11月29日 - 1997年(平成9年)6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。
本名:奥村 利夫(おくむら としお)。身長170cm[2]。血液型O型[3]。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。
勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、数多くの不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された[4][5]。2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートでは、好きな日本映画男優の第4位に選ばれている
1974年から1979年にかけて、座頭市をテレビドラマとして合計4シーズン、全100話を製作(その多くで脚本、演出も担当)するなど、活動は軌道に乗っているように見えたが、この頃からプライベートでのトラブルが多くなり、1978年にはアヘンの不法所持で書類送検される。1979年には映画『影武者』の主役に抜擢されるが、監督の黒澤明と衝突し降板。
1980年に製作したテレビドラマ『警視-K』(日本テレビ系)が完全主義の勝の製作方針などで予算がオーバーし、作品自体も不振で途中打ち切りになるなどした。この影響を受けて勝プロダクションは膨大な赤字を抱えて経営が立ち行かなくなり、1981年に12億円の負債を残し倒産。この時の記者会見で「勝新太郎は負けない」と述べ、借金と戦っていくことを宣言する。翌年、中村玉緒を社長とした「勝プロモーション」を設立するが、1983年には義父・二代目中村鴈治郎が死去するなど不幸が相次いだ。
1989年、自らの製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させたが、長男・雄大(この頃、本名で俳優デビューした)が殺陣の撮影中、斬られ役の役者を誤って真剣で斬りつけ死亡させてしまう。結局これが勝製作の最後の映画となった。勝の出演作品としては1990年、黒木和雄の監督映画『浪人街』が最後となった。
1990年1月16日、勝はアメリカ合衆国ハワイ州のホノルル国際空港で下着にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕される。麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」と述べ、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、結局、誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。帰国した翌年に日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年の有罪判決を受ける。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。この事件以後、俳優活動の場を舞台に移す。
1996年7月に下咽頭癌を発病。手術はせず、抗癌剤と放射線の治療を行なった。入院中も外出を繰り返して寿司や酒を楽しみ、平然と煙草をふかした。約4か月後の記者会見でも「煙草はやめた」と言いながら堂々と喫煙する様を見せた。しかし実際には療養中は禁煙し、会見での喫煙はパフォーマンスだった(煙を肺まで吸い込まず、口元でふかしているだけ)、と中村玉緒や鴈龍は後に振り返っている[13]。
晩年は、トライデントシュガーレスガムのCMにも出演し、死の前年である1996年4月23日には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」にも出演した。最後の舞台は大阪新歌舞伎座で中村玉緒と夫婦役を演じた『夫婦善哉』。
1997年6月21日午前5時54分、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院において下咽頭癌で死去[1][14]。65歳没。
出演作品[編集]映画[編集]
シリーズ[編集]
- 悪名シリーズ 全16作
- 座頭市シリーズ
- 座頭市物語(1962年)
- 続・座頭市物語(1962年)
- 新・座頭市物語(1963年)
- 座頭市兇状旅(1963年)
- 座頭市喧嘩旅(1963年)
- 座頭市千両首(1964年)
- 座頭市あばれ凧(1964年)
- 座頭市血笑旅(1964年)
- 座頭市関所破り(1964年)
- 座頭市二段斬り(1965年)
- 座頭市逆手斬り(1965年)
- 座頭市地獄旅(1965年)
- 座頭市の歌が聞える(1966年)
- 座頭市海を渡る(1966年)
- 座頭市鉄火旅(1967年)
- 座頭市牢破り(1967年)- 独立(勝プロダクション設立)後、初の座頭市作品
- 座頭市血煙り街道(1967年)
- 座頭市果たし状(1968年)
- 座頭市喧嘩太鼓(1968年)
- 座頭市と用心棒(1970年)
- 座頭市あばれ火祭り(1970年)
- 新座頭市・破れ!唐人剣(1971年) - 勝プロダクション製作、ダイニチ映配配給
- 座頭市御用旅(1972年) - 以下3作は、勝プロダクション製作、東宝配給
- 新座頭市物語 折れた杖(1972年)
- 新座頭市物語 笠間の血祭り(1973年)
- 座頭市(1989年) - 勝プロモーション・三倶製作、松竹配給
- 顔役
- 新座頭市物語 折れた杖
- 座頭市(1989年)
- 唖侍鬼一法眼 第1話
- 座頭市シリーズ
- 座頭市物語 第3・8・9・14・16・23話
- 新・座頭市
- 新・座頭市 第1シリーズ 第1・7・14・15・21・27話
- 新・座頭市 第2シリーズ 第3・5・7・10話
- 新・座頭市 第3シリーズ 第4・6・9・21~23話
- 痛快!河内山宗俊 第15・23・25話
- 夫婦旅日記 さらば浪人(1976年、CX / 勝プロ)第13話
- 警視-K 第1~4・7・9・11・13話
「悪名」1961年 朝吉役、弟分・田宮二郎と共演
座頭市物語発祥の地 千葉県旭市横根
原作は、子母沢寛の短編小説「座頭市物語」です。
兄・若山富三郎と勝新太郎の墓所は、東京都港区三田3-4-7 蓮乗寺
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