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本名:司馬遼太郎(しば りょうたろう)
墓地:第二無量寿堂(マップ)〒605-0846 京都府京都市東山区五条橋東6丁目514
※司馬遼太郎記念館の情報はページ最後にあります。
大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。
年表[編集]
司馬遼太郎記念館 東大阪市下小阪3-11-18
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本名:司馬遼太郎(しば りょうたろう)
墓地:第二無量寿堂(マップ)〒605-0846 京都府京都市東山区五条橋東6丁目514
※司馬遼太郎記念館の情報はページ最後にあります。
大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。
年表[編集]
- 1923年(大正12年)
- 1930年(昭和5年) - 大阪市立難波塩草尋常小学校入学。
- 1936年(昭和11年) - 私立上宮中学校(現:上宮高等学校)へ進学。
- 1940年(昭和15年) - 上宮中を卒業。
- 1941年(昭和16年) - 大阪外国語学校(現:大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学。
- 1943年(昭和18年) - 学徒出陣のため大阪外国語学校を卒業。兵庫県加古郡(現在の加古川市)にあった戦車第19連隊に入営。
- 1944年(昭和19年) - 満州の戦車第1連隊に配属される。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年) - 新日本新聞社に入社。京都支社に配属となる。
- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年) - 最初の結婚。初夏に京都の岩屋不動志明院に宿泊し奇っ怪な体験をする。同年の金閣寺放火事件では住職等から犯行の動機をすっぱ抜く。
- 1952年(昭和27年) - 長男誕生。
- 1954年(昭和29年) - 離婚。長男は実家の福田家に預けられる。
- 1956年(昭和31年) - 大阪本社勤務の傍ら短編小説「ペルシャの幻術師」を講談社の懸賞に募集。第8回講談倶楽部賞を受賞し文壇にデビューする。
- 1959年(昭和34年) - 松見みどりと結婚。
- 1960年(昭和35年) - 『梟の城』にて第42回直木賞受賞。
- 1961年(昭和36年) - 産経新聞社退社。執筆活動に専念する。
- 1964年(昭和39年) - 現在、司馬遼太郎記念館のある大阪府布施市下小阪(現:東大阪市下小阪)に転居。
- 1966年(昭和41年) - 『竜馬がゆく』『国盗り物語』にて第14回菊池寛賞受賞。
- 1968年(昭和43年) - 名誉高知県人となる[22]。
- 1981年(昭和56年) - 日本芸術院会員となる。
- 1986年(昭和61年) - 財団法人大阪国際児童文学館理事長に就任( - 1990年)。
- 1991年(平成3年) - 文化功労者に選ばれる。
- 1993年(平成5年) - 文化勲章受章。
- 1996年(平成8年)
- 1998年(平成10年) - この年から、毎年菜の花忌に司馬遼太郎賞を贈賞。
- 2001年(平成13年)11月1日 - 司馬遼太郎記念館が自宅隣接地に開館。
- 『梟の城』(1959年、講談社)
- 『上方武士道』(1960年、中央公論社)※没後『花咲ける上方武士道』に改題再刊
- 『風の武士』(1961年、講談社)
- 『戦雲の夢』(1961年、講談社)
- 『風神の門』(1962年、新潮社)
- 『竜馬がゆく』(1963-1966年、文藝春秋新社)
- 『燃えよ剣』(1964年、文藝春秋新社)
- 『尻啖え孫市』(1964年、講談社)
- 『功名が辻』(1965年、文藝春秋新社)
- 『城をとる話』(1965年、光文社)
- 『国盗り物語』(1965-1966年、新潮社)
- 『俄 浪華遊侠伝』(1966年、講談社)
- 『関ヶ原』(1966年、新潮社)
- 『北斗の人』(1966年、講談社)
- 『十一番目の志士』(1967年、文藝春秋)
- 『最後の将軍』(1967年、文藝春秋)
- 英訳版『The Last Shogun』(Juliet Winters Carpenter・訳)
- 『殉死』(1967年、文藝春秋)
- 『夏草の賦』(1968年、文藝春秋)
- 『新史太閤記』(1968年、新潮社)
- 『義経』(1968年、文藝春秋)※連載時の題名は『九郎判官義経』
- 『峠』(1968年、新潮社)
- 『宮本武蔵』(1968年、朝日新聞社『日本剣客伝』収録)
- 『坂の上の雲』(1969-1972年、文藝春秋)
- 『妖怪』(1969年、講談社)
- 『大盗禅師』(1969年、文藝春秋)
- 『歳月』(1969年、講談社)
- 『世に棲む日日』(1971年、文藝春秋)
- 『城塞』(1971-1972年、新潮社)
- 『花神』(1972年、新潮社)
- 『覇王の家』(1973年、新潮社)
- 『播磨灘物語』(1975年、講談社)
- 『翔ぶが如く』(1975-1976年、文藝春秋)
- 『空海の風景』(1975年、中央公論社)
- 英訳版『KUKAI THE UNIVERSAL』(武本明子・訳)
- 『胡蝶の夢』(1979年、新潮社)
- 『項羽と劉邦』(1980年、新潮社)※連載時の題名は『漢の風 楚の雨』
- 『ひとびとの跫音』(1981年、中央公論社)
- 『菜の花の沖』(1982年、文藝春秋)
- 『箱根の坂』(1984年、講談社)
- 『韃靼疾風録』(1987年、中央公論社)
- 英訳版『The Tatar Whirlwind』(Joshua Fogel・訳) etc.
司馬遼太郎記念館 東大阪市下小阪3-11-18
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- 速読家として知られ、ある友人と家で話していたとき、その友人がコーヒーを1杯飲み終わるうちに、会話しながらであるにもかかわらず、文庫本くらいの大きさの本1冊を読み終わっていたというエピソードがある。この時読んでいたのは小説の資料(当事者の日記など)である。
- 資料集めへの執念はすさまじく、一度に何千万円単位という巨費を投じて買い集めた。司馬が資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話があった。当初は、軽トラックで乗り込み、古本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読購入し、関係者らと荷台に乗せていったという。『坂の上の雲』執筆に際しては、神田神保町の神田古書店街の古書店主らに依頼し、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしが古書店に行っても資料がなかったという逸話も残る。
- 名字とその人の顔つきなどから、出身地や先祖を当てるという特技があり、たびたび周囲の人を驚かせた。
執筆活動以外はごろ寝をしてテレビを見るくらいで、ゴルフやギャンブルといったようなものへの興味は生涯なく、バンダナ収集が唯一の趣味であった。外出の際は気に入ったバンダナを身につけていた。その多くは遺族が保存し、記念館で一部展示している。 - 執筆活動以外はごろ寝をしてテレビを見るくらいで、ゴルフやギャンブルといったようなものへの興味は生涯なく、バンダナ収集が唯一の趣味であった。外出の際は気に入ったバンダナを身につけていた。その多くは遺族が保存し、記念館で一部展示している。