承継
これは松岡 將(すすむ)の追悼サイトです。

享年90歳
誕生日 1935年2月7日、命日 2024年11月2日
※ 松岡將へのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。

松岡將の著作は以下の書店で閲覧・購入が可能です。写真の書棚もご参考にして下さい。

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101-0051東京都千代田区サンサイド神保町
[email protected]
このメッセージは、 2024年12月25日に、佐藤榮一さんが投稿
松岡將さんの9年後輩で農水省OBの佐藤榮一です。松岡さんご逝去の報に接し、お悔やみを申し上げます。
私が最初にお世話になったのは、当時米価審議会の会長であった武田誠三先輩にお供して米国を訪問したときでした。バッツ農務長官などとの会見をセットしていただき、米国の高官と対等に渡り合うお姿を拝見し、敬服いたしました。その後もリンゴの輸入問題などでお世話になり、退官後は、お父上に関する著作、満州についての著作、ナショナルギャラリー写真集などをいただき、最近までメールのやり取りをしておりましたのに…
心からご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2024年12月24日に、吉國隆さんが投稿
松岡聡様、直美様
農水省同期入省の吉國です。松岡君の訃報を拝受し、ただただ驚いています。
コロナのせいで同期会も途絶えたままでしたが、たびたびメールを呉れ、聡さんのスパコンに関係するニユースなどを頻繁に届けてくれていました。
農水省では、ともに国際畑を歩んだ期間があり、松岡君がワシワトン勤務の時に、小生はジユネーブの政府代表部でGATTの交渉を担当するという関係などもありました。
1949年の穀物危機の時に、アメリカが大豆の禁輸をした際、当時の食糧庁長官のお供で訪米し、バツツ農務長官に面会を求めて抗議した際も、松岡君がうまく段取りをつけてくれたのが懐かしい思い出です。
入省早々の頃、東大の後輩に農水省への入省希望者を増やすため、命じられて二人で東大に赴き、演説をぶつたことがありましたが、彼は堂々と日本の畜産の将来性を説き、その雄弁ぶりに感服した思い出もあります。
法経の上級職入省同期は、15人いましたが、今や二人だけとなり、淋しい限りです。コロナのせいで、同期会も途絶えたままだったことが、今となっては慚愧に耐えません。
しかし、考えようによっては、完全燃焼して卒然と逝つた松岡君は幸せ者と言えるように思えないでもありません。
彼のご自慢のご子息であられたお二人のますますのご活躍を心からお祈り申し上げます。吉國隆
このメッセージは、 2024年12月24日に、一弘松下さんが投稿
松岡さんのご冥福を心からお祈りして、ご親族の皆様にお悔やみ申し上げます。松岡さんには農林水産省で身に余るご指導を賜り感謝しております。美術館の素晴らしい写真集をお送り下さりいつも感激しておりました。思い出は尽きませんが、心からありがとうと申し上げます。松下一弘
このメッセージは、 2024年12月24日に、高田信二さんが投稿
本日(2024年12月24日)、御遺族の松岡聡様、直美様の連名で喪中のお葉書を頂き、驚愕しました。松岡將氏が既に11月2日に亡くなられていたとは知りませんでした。
 松岡氏とはこの夏頃までは頻繁にメールで連絡し合う「メル友」の仲でしたが、迂闊でした。既に安否伺いで(来年の)年賀状を出してしまいました。
 松岡氏と知り合ったのは2006年頃で、目黒で不定期に開催された「満洲合作社事件」研究会の場でした。慶大の松村高夫教授、京大の江田憲治教授、小樽商大の荻野富士夫教授らが参加してました。目黒駅までの帰りがけ、松岡氏は「私の父は、ゾルゲ事件の尾崎秀実とは東京帝大と大学院で同級生だったんですよ」という話を聞いた時、吃驚仰天しました。丁度、当時の私はゾルゲ事件の研究会にも入っていたからです。
 それからは話が弾み、個人的な仲も深まり、恵比寿の御自宅には何度もお邪魔する仲になりました。松岡氏は、御自宅に何人かの友人を集めて、満洲のスライドショーを開催するようになったからです。私の親しかった元朝日新聞解説委員の隈元信一さん(故人)や時事通信社の先輩で満洲関連の本も出されている藤原作弥氏も参加しました。
 その前に、松岡氏は70代後半にして、御尊父の足跡を辿った「松岡二十世とその時代」を出版されるや否や、毎年のように「王道楽土・満洲国の『罪と罰』」「在満少国民望郷紀行」を上梓し、ワシントンの在米大使館勤務時代に撮り溜めていた写真を使った「ワシントン・ナショナル・ギャラリー参百景」などまで出されて、その度に驚かされました。私のブログ「渓流斎日乗」にも取り上げさせて頂きました。
 銀座でご一緒に飲んだこともありますが、本当に「メル友」で、伝統ある日本工業倶楽部で講演されたとか、神田神保町に「書店」を出品された話なども事前に伺っていました。
 勿論、スーパーコンピューターの権威になられた御子息の聡氏やソニーグループの重役になられた御令嬢の直美氏の事もいつも嬉しそうに話されていました。
 数年前に奥様に先立たれて、生活面で大変苦労されたと思いますが、今では再会されているかもしれませんね。
 話が長くなりましたが、松岡將氏の訃報に接して驚くとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。長い間、本当にお世話になりました。

2024年12月24日
高田信二 keiryusai.net
このメッセージは、 2024年12月18日に、松岡聡さんが投稿
松岡将の著作は以下の書店で閲覧・購入が可能です。
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このメッセージは、 2024年12月25日に、佐藤榮一さんが投稿
松岡將さんの9年後輩で農水省OBの佐藤榮一です。松岡さんご逝去の報に接し、お悔やみを申し上げます。
私が最初にお世話になったのは、当時米価審議会の会長であった武田誠三先輩にお供して米国を訪問したときでした。バッツ農務長官などとの会見をセットしていただき、米国の高官と対等に渡り合うお姿を拝見し、敬服いたしました。その後もリンゴの輸入問題などでお世話になり、退官後は、お父上に関する著作、満州についての著作、ナショナルギャラリー写真集などをいただき、最近までメールのやり取りをしておりましたのに…
心からご冥福をお祈りいたします。
このメッセージは、 2024年12月24日に、吉國隆さんが投稿
松岡聡様、直美様
農水省同期入省の吉國です。松岡君の訃報を拝受し、ただただ驚いています。
コロナのせいで同期会も途絶えたままでしたが、たびたびメールを呉れ、聡さんのスパコンに関係するニユースなどを頻繁に届けてくれていました。
農水省では、ともに国際畑を歩んだ期間があり、松岡君がワシワトン勤務の時に、小生はジユネーブの政府代表部でGATTの交渉を担当するという関係などもありました。
1949年の穀物危機の時に、アメリカが大豆の禁輸をした際、当時の食糧庁長官のお供で訪米し、バツツ農務長官に面会を求めて抗議した際も、松岡君がうまく段取りをつけてくれたのが懐かしい思い出です。
入省早々の頃、東大の後輩に農水省への入省希望者を増やすため、命じられて二人で東大に赴き、演説をぶつたことがありましたが、彼は堂々と日本の畜産の将来性を説き、その雄弁ぶりに感服した思い出もあります。
法経の上級職入省同期は、15人いましたが、今や二人だけとなり、淋しい限りです。コロナのせいで、同期会も途絶えたままだったことが、今となっては慚愧に耐えません。
しかし、考えようによっては、完全燃焼して卒然と逝つた松岡君は幸せ者と言えるように思えないでもありません。
彼のご自慢のご子息であられたお二人のますますのご活躍を心からお祈り申し上げます。吉國隆
このメッセージは、 2024年12月24日に、一弘松下さんが投稿
松岡さんのご冥福を心からお祈りして、ご親族の皆様にお悔やみ申し上げます。松岡さんには農林水産省で身に余るご指導を賜り感謝しております。美術館の素晴らしい写真集をお送り下さりいつも感激しておりました。思い出は尽きませんが、心からありがとうと申し上げます。松下一弘
報告
松岡聡さんが2024年12月18日に投稿
父が亡くなり早いものでもう一ヶ月以上経ちました。このサイトはその人生・軌跡を残すために立ち上げたものです。今後少しづつコンテンツを加えて行きますので、生前よりお知り合いの片方、またご興味のある方は時たまお立ち寄り下さい。

2024年12月
松岡 聡(長男)
松岡 直美(長女)