この想いでサイトは、 渡瀬 恒彦(俳優・歌手)さまを承継するために作成されました。
享年72歳 、誕生日 1944年7月28日、命日 2017年3月14日
※ 渡瀬さんへのメッセージ投稿や、想いでの共有はサインイン(記帳)で可能になります。
1944年7月28日[1] - 2017年3月14日)は、日本の俳優・歌手・タレント。本名同じ。
島根県能義郡安来町(当時)生まれ、兵庫県淡路島育ち[1]。東映マネージメント所属[2]。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。身長174cm[1]、血液型AB型[1]。
「9係」プロデューサーの松本基弘には2016年の11シーズン終了後に渡瀬自身から癌であることを伝えられた。しかし松本は治療すれば必ず良くなると信じていた[50] という。どんな体調が優れない時でも「俺はやる、とにかく現場に戻るんだ」という意欲を燃やし[51]、2016年に入ってからは血流を良くする気功術を導入した[48]。
病魔が渡瀬の体を蝕み、2016年6月から8月に撮影された「おみやさんスペシャル2」では、親友の成瀬正孝が陣中見舞いに訪れた6月の時点では、調子が悪いながら一緒に食事へ行くなどの気遣いを見せる余裕があったが[52]、7月には隠し切れないほどの体調悪化で撮影が続行できるか一時検討された。しかし、撮影途中から妻が京都に駆けつけ、献身的に支えたことで撮影を乗り切った[53]。松本基弘によれば「おみやさんスペシャル」の後に「タクシードライバーの推理日誌」新作撮影予定だったが、体調を崩したことを考慮し延期して静養に努めた[50]。
遺作となったテレビ朝日系列のスペシャルドラマ「そして誰もいなくなった」(2017年3月25日・26日放送)への出演を藤本一彦プロデューサーが渡瀬にオファーしたのは11月。藤本によれば、最初は別の役を依頼するつもりだったが、準備稿を読んだ渡瀬が犯人の磐村兵庫役をやりたいと話した[50] という
人柄[編集]
※注:このサイトは、渡瀬恒彦に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
享年72歳 、誕生日 1944年7月28日、命日 2017年3月14日
※ 渡瀬さんへのメッセージ投稿や、想いでの共有はサインイン(記帳)で可能になります。
1944年7月28日[1] - 2017年3月14日)は、日本の俳優・歌手・タレント。本名同じ。
島根県能義郡安来町(当時)生まれ、兵庫県淡路島育ち[1]。東映マネージメント所属[2]。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。身長174cm[1]、血液型AB型[1]。
- 2015年まで計54作放映された『十津川警部』シリーズについて、当時のプロデューサー森下和清が渡瀬を「役者でありながらスタッフでもあった」と話す。現場では演出を仕切ることもあり、台本にもどんどん口を出した。スタッフをかわいがる一方、手を抜く人に対しては監督であっても言うことを聞かなかった。森下は「十津川を『自分の根幹』と言って大切にしていた。役というより、恒さんそのものだった」とコメントしている[36]。
- 同作品スタート10年目でインタビューに応えている。その際、長く渡瀬の持ち役のひとつになった「十津川警部」と比較して『十津川は相手の反応は関係なく、直球を投げる。おみやさんは相手とのやりとりの中でカーブを投げられるんですね、優しいんだと思います』と人気の秘密を語った[37]。
- スタート当初から撮影場所も舞台も京都だったが、2011年の第8シリーズからはゲストの職業も和傘職人や桜守などより京都にこだわるようになり、京都をよく知る渡瀬が脚本中にあった「ベージュ色」という台詞を「亜麻色」という言い回しに変えるということもあった[37]。
- 9係まではリーダーシップあふれる刑事役が多かったが、「部下と距離を置き自分から捜査しないと思われ、人を使う」役柄は9係が初。2006年スタート当初は「実はこんなに出番の少ないドラマは、今までないんですよ。戦場に出ないでもいい勝ち方ってないのかな(笑)。やる限りは勝たないとね。どうやってみんなに働いてもらうかな[41]」と語っていたが、最終的に晩年では「代表作にしたい[31]」と公言するほど、愛着の深い作品になった。2009年当時のインタビューでは「スタート当初からこれは映画にできる」と思うほど刑事たちのキャラクターが生き生きと描かれ、刑事たちの個性だけでドラマができると9係を絶賛。その中で主演である自分は、「思い切ってキャラクターをぶつけあっている刑事たちを見守る」役割といい、「自分が演技しないで人がやるのを見ているのは、俳優としてはエネルギーがいる」というやりがいを明かした[42]。
「9係」プロデューサーの松本基弘には2016年の11シーズン終了後に渡瀬自身から癌であることを伝えられた。しかし松本は治療すれば必ず良くなると信じていた[50] という。どんな体調が優れない時でも「俺はやる、とにかく現場に戻るんだ」という意欲を燃やし[51]、2016年に入ってからは血流を良くする気功術を導入した[48]。
病魔が渡瀬の体を蝕み、2016年6月から8月に撮影された「おみやさんスペシャル2」では、親友の成瀬正孝が陣中見舞いに訪れた6月の時点では、調子が悪いながら一緒に食事へ行くなどの気遣いを見せる余裕があったが[52]、7月には隠し切れないほどの体調悪化で撮影が続行できるか一時検討された。しかし、撮影途中から妻が京都に駆けつけ、献身的に支えたことで撮影を乗り切った[53]。松本基弘によれば「おみやさんスペシャル」の後に「タクシードライバーの推理日誌」新作撮影予定だったが、体調を崩したことを考慮し延期して静養に努めた[50]。
遺作となったテレビ朝日系列のスペシャルドラマ「そして誰もいなくなった」(2017年3月25日・26日放送)への出演を藤本一彦プロデューサーが渡瀬にオファーしたのは11月。藤本によれば、最初は別の役を依頼するつもりだったが、準備稿を読んだ渡瀬が犯人の磐村兵庫役をやりたいと話した[50] という
人柄[編集]
- 遠縁にプロテニスプレイヤーの錦織圭がおり、渡・渡瀬兄弟の祖母と錦織の曽祖父が兄弟だった[79]。
- 2008年、錦織の親戚筋から「石原プロモーション」渡宛てに簡単な家系図を添えて手紙が届いた。当時全く知らず驚いた渡は渡瀬にも連絡を取ったが、渡瀬も全く知らなかった[79] という
- 渡瀬の人物像を語る上でしばしば登場するのが「芸能界一喧嘩が強い」という逸話である。渡瀬本人が腕っ節の強さを吹聴するようなことは無かったものの、彼を古くから知る芸能関係者らは「渡瀬さんが一番」と口を揃え、その強さを“伝説”として語り継いでいる[80]。
- 早稲田大学はドイツ語文法の1単位が取れず抹籍扱いになった(2002年『徹子の部屋』では自身の早稲田大学抹籍証明書をテレビで披露した)[12]。
- 動物好きで有名[81]。特に犬が好き、理由は「朝起こされて、散歩に行って…と生活が律せられるのがいい[34]」『南極物語』で共演した犬のタロとジロを撮影休止のため帰国している間、監督に世話したいと自ら志願。撮影が終わってからも「厳しい環境には戻せない」と自宅に引き取った[82]。自宅近くの公園によく犬を連れて散歩しに来ている姿が目撃されていた[81]。25年以上に渡り、東映のカレンダーには自分の飼っている犬と2ショットで登場していた[83]。
- 1978年度:第52回 キネマ旬報ベスト・テン 助演男優賞 『事件』、『赤穂城断絶』[145]
- 1978年度:第3回 報知映画賞 助演男優賞 『事件』、『皇帝のいない八月』、『赤穂城断絶』
- 1978年度:第21回 ブルーリボン賞 助演男優賞 『事件』、『赤穂城断絶』[146]
- 1978年度:第2回 日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞 『事件』[147]
- 1980年度:第54回 キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞 『神様のくれた赤ん坊』、『震える舌』[148]
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