(生い立ち)
1890年、資産家の父フレデリック・アルヴァ・ミラー(1846年 - 1901年)と母クララ・ベーマー(1854年 - 1926年、イギリス陸軍士官の娘)の次女としてイギリス南西部のデヴォンシャーに生まれる。3人姉弟の末っ子で、10歳近く年の離れた姉と兄がいた。しかし姉マーガレット(1879年 - 1950年)は寄宿学校におり、長兄モンタント(1880年 - 1929年)はパブリックスクールを退校して軍に入隊していたために幼少期を共にする機会が少なく、もっぱら両親や使用人たちと過ごした。
父フレデリックはアメリカ人の事業家だったが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていた。母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていた。母の性格はアガサや家族の運命に少なからず影響を与えたが、フレデリックは奔放な妻を生涯愛し続け、アガサも母を尊敬し続けた。
父フレデリックはアメリカ人の事業家だったが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていた。母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていた。母の性格はアガサや家族の運命に少なからず影響を与えたが、フレデリックは奔放な妻を生涯愛し続け、アガサも母を尊敬し続けた。
(少女時代)
少女時代のアガサは兄や姉のように正規の学校で学ぶことを禁じられ、母から直接教育を受けた。母クララの教育に対する風変わりな信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「7歳になるまでは字が書けない方が良い」と信じており、アガサに字を教えなかった。それによりアガサは世間一般の子供より識字が遅く、父がこっそり手紙を書く手伝いをさせるまで満足に文字を書けなかった。変則的な教育は、字を覚えた後も独特の癖をアガサに残してしまい、現存している子供時代の手紙はスペルミスが非常に多い。
同年代の子供がパブリックスクールで教育を受けている間も、アガサは学校に入学することを許されなかった。同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをしたりして過ごし、内気な少女に育っていった。一方で、父の書斎で様々な書籍を読みふけって過ごし、様々な事象に対する幅広い知識を得て、教養を深めることが出来た。
また、ある事情により一家が短期間フランスに移住した時、礼儀作法を教える私学校に入って演劇や音楽を学んだ。16歳のときにはオペラ歌手を目指してパリの音楽学校に入学したが、すぐに退学した[6]。結局、母は最後まで正規の教育を受けることは許さなかったが、アガサ自身は自らが受けた教育について誇りを持っていたという
同年代の子供がパブリックスクールで教育を受けている間も、アガサは学校に入学することを許されなかった。同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをしたりして過ごし、内気な少女に育っていった。一方で、父の書斎で様々な書籍を読みふけって過ごし、様々な事象に対する幅広い知識を得て、教養を深めることが出来た。
また、ある事情により一家が短期間フランスに移住した時、礼儀作法を教える私学校に入って演劇や音楽を学んだ。16歳のときにはオペラ歌手を目指してパリの音楽学校に入学したが、すぐに退学した[6]。結局、母は最後まで正規の教育を受けることは許さなかったが、アガサ自身は自らが受けた教育について誇りを持っていたという