承継
軌跡

(幼少期~結核~洗礼まで)

1922年4月25日大正11年)に堀田鉄治とキサの第五子として北海道旭川市4条16丁目左2号に生まれる。両親と九人兄弟姉妹と共に生活した。大成小学校卒業。1935年に妹の陽子が夭逝する。[1]1939年旭川市立高等女学校卒業。その後歌志内町旭川市で7年間小学校教員を務めたが、終戦によりそれまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、1946年に退職。この頃、肺結核を発病する。1948年北大医学部を結核で休学中の幼なじみ、前川正に再会し、文通を開始。敬虔なクリスチャンであった前川は、綾子にキリスト教短歌など多大な影響を与えた。1949年から1961年にかけて「アララギ」の土屋文明選歌欄に投稿し[2]口語短歌に積極的に取り組んだ。1952年に結核の闘病中に小野村林蔵牧師より洗礼を受ける。1954年、前川死去。1959年に旭川営林局勤務の三浦光世と結婚。光世は後に、綾子の創作の口述筆記に専念する。