承継
軌跡

(道を拓く)

実は、藤田田は途方も無く優秀な人物でした。 それはアメリカからマクドナルドを輸入して日本国内で成功させることが出来たのは、おそらく藤田だけと言っても過言ではないほど

東大法学部にいても退屈だった藤田は、マッカーサーの司令部を訪ねて仕事をさせてくれと頼みました。 そこで採用試験に受かり通訳の仕事を手に入れます。

(運命の出会い)

藤田は、東京大学に在籍しながら通訳の仕事をしていると、ウイルキンソンという一人のユダヤ軍曹と出会い、そこから人生が大きく変わっていきます。
機転が利く藤田田は、そのユダヤ軍曹に気に入られ商売のコツを教わりますが、それ以上に大きなことを教わりました。 それは「ユダヤ商法」です。
こうして藤田はユダヤ人と深く関わることで「ユダヤ商法」を学び、東大在籍中の24歳の時に、輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立しました。

(大損しても、信用を守った)

1968年、アメリカンオイルからナイフとフォーク300万本の注文を受注するが、岐阜関市の製造業者の都合で期限内に商品が完成されなかった。  そのため、当初予定していた船舶での輸送では、期限内に納品できない事態に陥る。
意地でも納期を守りたかった藤田は、当時の日本円で1000万円の費用をかけてボーイング707をチャーターし、納期内に納品した。 とても採算には合わなかったが、大損しても納期は守った。
さらに翌年にも、ナイフとフォーク600万本を受注するが前年同様、生産が間に合わず再び飛行機をチャーターすることになる。
二度にわたる飛行機のチャーターで藤田は大損したが、これにより買えるはずのないユダヤ人の信用を得た。 「あいつは約束を守る日本人だ」という情報が世界中のユダヤ人に伝わったという。