承継
軌跡

(生い立ち)

1892年(明治25年)8月11日(戸籍面は13日)、神奈川県久良岐郡中村根岸(現在の横浜市中区山元町2丁目18番地付近)[注 1]に、旧小田原藩士・吉川直広、イクの次男として生れた。自筆年譜によると出生地は中村根岸となっている。

父・直広は県庁勤務の後小田原に戻り、箱根山麓で牧畜業を営みさらに横浜へ移って牧場を拓く。イクとは再婚で、先妻との間に兄正広がいた。英治が生まれた当時、直広は牧場経営に失敗し、寺子屋のような塾を開いていた。その後、貿易の仲買人のようなことを始め、高瀬理三郎に見出されて横浜桟橋合資会社を設立。一時期安定するが、直広が高瀬と対立し、裁判を起こし敗訴すると刑務所に入れられ、出所後は生活が荒れ、家運が急激に衰えていく。