承継
軌跡

(生い立ち)

プレスリーは1935年1月8日、ミシシッピ州テュペロの小さな家(トイレも水道も無い掘立小屋)で生まれた。父ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー(1916 - 1979)、母グラディス・ラブ・プレスリー(1912 - 1958)の3人家族であった(プレスリーには双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している)。父ヴァーノンが不渡小切手で服役するなど極貧生活を強いられるも、両親はプレスリーを大事に育てた。

敬虔なキリスト教プロテスタント[19] (ペンテコステ派)[20]の家庭に育ったプレスリーは、9歳の時に洗礼を受けた。11歳の誕生日にはライフルを欲しがったが、当然母親に却下され、代わりにアコースティック・ギターを買い与えられた。これを機に自宅の地下洗濯部屋でギターを練習し、音楽に傾倒していった。

(少年時代)

1948年、プレスリーが13歳の時に一家はテネシー州メンフィスへと引っ越し、下宿生活を経て1949年にメンフィスにあるロウダーデール・コート公営住宅に転居した。メンフィスには非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、プレスリーは黒人の音楽を日常的に聴いて育ち、エリス公会堂で行われていたゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていた。毎回欠かさず観に来ていたプレスリーは、ある日入場料を支払えないため1度欠席した。これに気を留めたのがJ.D.サムナーで「じゃあ次回からは楽屋口から入るといいよ」と告げ、以降は無料でショーを観ることができた(1970年代の公演ではJ.D.サムナー&ザ・スタンプス・カルテットをコーラス隊として迎えている)。このことが後のプレスリーの音楽性に大きな影響を与えたとされる。高等学校を卒業したプレスリーは、精密金型製造会社に就職した後、クラウン・エレクトリック社に転職してトラック運転手として働いていた。