備後国御調郡大浜村(
因島、現
尾道市)の貧しい農家の末子として生まれる。学校へはあまり行かず
瀬戸内海を通る
蒸気船に憧れ「いつかはあんな大きな船をつくる
鍛冶屋に」と願った。早く出世して両親に楽をさせてあげたいと15才の時、
大阪市へ出て
鋳物屋に
丁稚奉公。利発にして誠実、また器用で根気よく、節約して資金を貯め
1890年、19歳の時早くも
大阪市南区(現
中央区)に「大出鋳物」を創業し、秤の分胴などを製造した。この前後に父、母を亡くし余り親孝行は出来なかったが仕事に打ち込んだ。