紀州
湯浅の
醤油商人である濱口分家・七右衛門の長男として生まれる。12歳で本家(濱口儀兵衛家)の養子となって、
銚子に移る。
その後、若くして見聞を広め、
開国論者となった。海外留学を志願するが、開国直前の
江戸幕府の受け容れるところとならず、30歳で帰郷して事業を行った。
嘉永5年(
1852年)、同業の濱口吉右衛門(東江)・岩崎重次郎(明岳)とともに広村に稽古場「耐久舎」(現在の
和歌山県立耐久高等学校)を開設して後進の育成を図った。嘉永7年(
1854年)頃、七代目濱口儀兵衛を相続する