(生い立ち)
1906年、当時の軍都、広島県広島市西地方町(現在の広島市中区土橋町、河原町付近[6])生まれ[7][8]。芸者の母、軍人だったとされる父が春子の幼時に死んだため、花柳界の中にある建築資材商と置屋経営者の養女となる[4][9][10][11][12]。養父は近所の寿座という西日本一の芝居小屋の株主だった関係で[13]、幼少期から歌舞伎や新派、歌劇、文楽などに親しむ[4][8][10][14]。両親が赤の他人と知ったのは小学6年生のとき[4]。ショックを受けたが、同時に養母の人生も知り、「世の中で信じられるのは自分だけ。自分が見たもの、感じたもの、自分が発した言葉だけを頼りに生きていく」と決めた