名:長谷川 一夫(はせがわ かずお)旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)
俳優。称は長さん。戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。
没後、俳優初の国民栄誉賞を受賞
※ 運に恵まれる: 曰く「長谷川一夫さんほど運の強い人はないと思う」と語っている。映画入りして以来、ついに一度も人気の落ちることもなく、特別な事情のない限り助演に回ったこともないという大スタア、東宝歌舞伎の切符は毎回売り切れ、『ベルサイユのばら』も大当たりとなった。また、「もう一つ不思議なこと」として、長谷川の去ったあとの会社は、たいてい落ち目になることを挙げている。
戒名:照林院澄譽演雅一道大居士
墓地:谷中霊園(マップ)〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目5−24
墓地:谷中霊園(マップ)〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目5−24
関連リンク
- NHKアーカイブス(動画):https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250054_00000
- 映画データベース:http://www.jmdb.ne.jp/person/p0283520.htm
- WIKI:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E...
俳優。称は長さん。戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。
没後、俳優初の国民栄誉賞を受賞
※ 運に恵まれる: 曰く「長谷川一夫さんほど運の強い人はないと思う」と語っている。映画入りして以来、ついに一度も人気の落ちることもなく、特別な事情のない限り助演に回ったこともないという大スタア、東宝歌舞伎の切符は毎回売り切れ、『ベルサイユのばら』も大当たりとなった。また、「もう一つ不思議なこと」として、長谷川の去ったあとの会社は、たいてい落ち目になることを挙げている。
「ミーハー」とは、林長二郎のファンのために作られた言葉である。若い女性が大好きな「みつまめ」と、「はやし長二郎大好き人間」を揶揄してできたのが「ミーハー族」というキャッチフレーズだった。 Wikipediaより。
ミーハーです。まさに昭和スター、天国で安らかに
ミーハーです。まさに昭和スター、天国で安らかに
共演女優、田中絹代、岡田嘉子、山田五十鈴、李香蘭、高峰秀子、京マチ子、高峰三枝子、音羽信子、淡島千景、山本富士子、岸恵子、香川京子、若尾文子
実に豪華な顔ぶれですね。うるんだまなざしは「眼千両」と称されました。
永遠の二枚目俳優、心に刻みます。
実に豪華な顔ぶれですね。うるんだまなざしは「眼千両」と称されました。
永遠の二枚目俳優、心に刻みます。
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ミーハーという言葉の発祥
「ミーハー」とは、長谷川一夫のファンのために作られた言葉である。若い女性が大好きな「みつまめ」と、「はやし長二郎大好き人間」を揶揄してできたのが「ミーハー族」というキャッチフレーズだった。
日本橋小網町のガソリンスタンド明光石油株式会社日本橋カズヲスタンドSSと供に赤坂で料亭賀寿老(かずお)を繁夫人と経営していた。酒が体質的に飲めず、大の甘党であったこともあり、晩年は糖尿病などの慢性病に悩まされた。