スター俳優
1927年、松竹下鴨撮影所に入社。師匠から林長次郎の芸名をもらい、犬塚稔監督の「子供の剣術」で銀幕デビューを果たした。当時、松竹は時代劇映画の製作に力を入れ始めており、林は期待の新星として莫大な宣伝費を投じて宣伝した。その結果、この映画は若い女性の間で大人気となり、林は抜群の美貌と松竹の全社的な宣伝により、一躍スター俳優の仲間入りを果たしたのである。
1950年(昭和25年)、大映京都撮影所に重役として迎えられる。翌1951年(昭和26年)、『銭形平次』(森一生監督)が公開、以後『銭形平次捕物控』シリーズとして、大映で計17本の作品が作られ、同社を支える人気シリーズの一つとなった。
1953年(昭和28年)、イーストマン・カラー第1作である、衣笠監督の『地獄門』に主演。作品はカンヌ国際映画祭グランプリとアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
1950年(昭和25年)、大映京都撮影所に重役として迎えられる。翌1951年(昭和26年)、『銭形平次』(森一生監督)が公開、以後『銭形平次捕物控』シリーズとして、大映で計17本の作品が作られ、同社を支える人気シリーズの一つとなった。
1953年(昭和28年)、イーストマン・カラー第1作である、衣笠監督の『地獄門』に主演。作品はカンヌ国際映画祭グランプリとアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。