この追悼サイトは、 兼高 かおる(ジャーナリスト・旅行作家)さまのために作成されました。
享年90歳 、誕生日 1928年2月29日、命日 2019年1月5日
※ 兼高さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかローズ)、1928年2月29日 - 2019年1月5日[1])は、日本のジャーナリスト(ツーリストライター)である。日本旅行作家協会名誉会長。「山の手言葉」を多く用いていたことで知られている。
兵庫県神戸市生まれ。1946年香蘭女学校卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍する。海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られる。
兵庫県神戸市に生まれ、資産家だった母親の家族(または親戚)のつてで母親と兄とともに東京都へ移住した[2]。香蘭女学校を卒業後渡米し、ロサンゼルス市立大学に留学。帰国後、ジャパン・タイムスなどのフリーランサーとして活躍。1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。取材国は約150か国、距離にして地球を180周もしたことになる。国際関係の仕事に従事し数多くの協会のメンバーでもある。1985年より名誉館長を務める淡路島の“旅の資料館”に各地から持ちかえった民芸品類を展示している(2020年2月28日にて閉館)。1986年から2006年5月まで“横浜人形の家”の館長に就任。
兼高かおるは、案内役として31年間で地球180周分、150ヵ国余りを駆け巡った (TBS系)
※注:このサイトは、兼高かおるに関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
享年90歳 、誕生日 1928年2月29日、命日 2019年1月5日
※ 兼高さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかローズ)、1928年2月29日 - 2019年1月5日[1])は、日本のジャーナリスト(ツーリストライター)である。日本旅行作家協会名誉会長。「山の手言葉」を多く用いていたことで知られている。
兵庫県神戸市生まれ。1946年香蘭女学校卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍する。海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られる。
兵庫県神戸市に生まれ、資産家だった母親の家族(または親戚)のつてで母親と兄とともに東京都へ移住した[2]。香蘭女学校を卒業後渡米し、ロサンゼルス市立大学に留学。帰国後、ジャパン・タイムスなどのフリーランサーとして活躍。1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。取材国は約150か国、距離にして地球を180周もしたことになる。国際関係の仕事に従事し数多くの協会のメンバーでもある。1985年より名誉館長を務める淡路島の“旅の資料館”に各地から持ちかえった民芸品類を展示している(2020年2月28日にて閉館)。1986年から2006年5月まで“横浜人形の家”の館長に就任。
- 1928年 - 兵庫県神戸市に生まれる。父親はインド人[3]。香蘭女学校では黒柳徹子の先輩に当たる。
- 1958年 - スカンジナビア航空が主催した「世界早回り」に挑戦し、73時間9分35秒の新記録(当時)を樹立。
- 1959年 - この年より『兼高かおる世界飛び歩き』(TBS、のちに『兼高かおる世界の旅』にタイトル変更)のレポーター、ナレーター、プロデューサー兼ディレクターを務める( - 1990年)。
- 1967年 - 文化庁芸術選奨新人賞受賞。
- 1980年 - 日本女性放送者懇談会賞[4]
- 1985年
- 1986年 - 横浜市の山下公園にある横浜人形の家館長に就任(2006年5月30日まで。後任は石坂浩二)。
- 1990年 - 菊池寛賞受章。
- 1991年
- 2004年 - 日本国際ツーリズム殿堂入り。
- 2019年1月5日20時45分 - 心不全のため、東京都港区の高齢者施設で死去[1][5]。90歳だった。
- エコツーリズム推進協議会会長
- 兼高かおる旅の資料館(兵庫県淡路島の淡路ワールドパーク内にある展示館)名誉館長
- 日本旅行作家協会名誉会長(第2代会長)
- 大阪トラベルジャーナル旅行専門学校(現:ホスピタリティツーリズム専門学校大阪)名誉校長
- 学校法人トラベルジャーナル学園 名誉校長
- 兼高かおる世界の旅[10]
- マンモスタワー
- 兼高かおる沖縄の離島を巡る(2012年7月、全3回、フジテレビワンツーネクスト)
- 『世界とびある記』光書房、1959年、(国立国会図書館デジタル化資料 - 世界とびある記)、新版・ビジネス社、2019年3月(追悼出版)ISBN 4-8284-2085-1
- 『世界の旅』講談社、1961年
- 『世界の旅 オセアニア編』実業之日本社、1962年 (国立国会図書館デジタル化資料 - 世界の旅. [第1] (オセアニア編))
- 『生活の随筆 第12 (外遊)』筑摩書房、1962年 お嬢さん滞米記(兼高かおる)
- 『兼高かおる 世界の旅』講談社、1963年
- 『兼高かおる 世界の旅』講談社、1964年
- 『兼高かおる アフリカの旅』講談社、1967年 (国立国会図書館デジタル化資料 - 兼高かおるアフリカの旅)
- 『兼高かおる アフリカの旅』講談社、1968年
- 『世界の楽園 第1 (南太平洋)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『世界の楽園 第2 (地中海)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『世界の楽園 第3 (ヨーロッパ)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『世界の楽園 第4 (ラテン・アメリカ)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『世界の楽園 第5 (北アメリカ)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『世界の楽園 第6 (アフリカ)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『世界の楽園 第7 (アジア)』兼高かおる 監修、番町書房、1970年
- 『ヌング少年とマダムヒッポのお話』バベット・コール 作、兼高かおる 訳、CBS・ソニー出版 1979年
- 『学習こども百科 17』沢田清、兼高かおる 監修、学研、1979年
- 『兼高かおる 旅のアルバム』講談社、1985年 ISBN 4062020203
- 『スーツ・ケースのティータイム 旅ほど素敵な人生はない』講談社、1985年 ISBN 4062019310
- 『動物たちの大自然 地球180周の取材ノート』(Visual books 1) ソニー・マガジンズ、1991年 ISBN 4789706966
- 『民族の色彩 160カ国の旅日記』(Visual books 2) ソニー・マガジンズ、1991年 ISBN 478970694X
- 『世界の祭り 721万キロの紀行文』(Visual books 3) ソニー・マガジンズ、1991年 ISBN 4789706958
- 『私の愛する憩いの地』新潮社、1992年 ISBN 410387001X。新潮文庫 1995年 ISBN 4101365113
- 『私の好きな世界の街』新潮社、1996年 ISBN 4103870028。新潮文庫 2000年 ISBN 4101365121
- 『都市の時代の私の提言 日本の都市に問われる美への感性』全国市長会 編、市政1997年5月 ISSN 0488-6801
- 『せかいのこっき』 (ミッキー幼児えほん 20) 兼高かおる 監修、講談社、1999年 ISBN 4062679701
- 『わたくしが旅から学んだこと 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ!』 小学館、2010年9月 ISBN 9784093881272。小学館文庫、2013年 ISBN 9784094088069
- 曽野綾子対談『わたくしたちの旅のかたち 好奇心が「知恵」と「元気」を与えてくれる』秀和システム、2017年2月
兼高かおるは、案内役として31年間で地球180周分、150ヵ国余りを駆け巡った (TBS系)
※注:このサイトは、兼高かおるに関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝