映画スターとして
大映は戦時中の日本映画会社の統合に伴い、社名を「大映」に変更した。このとき大映に入社した千恵蔵は、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門とともに「時代劇四天王」と称された。大映の初作品となった「維新の極」、その2年後の「掟破りの神風はこわれた」で歌右衛門と共演した。翌年には松田定次監督の「七つの顔」で藤村大蔵を演じ、この役で一躍有名になり、続編が何本か作られるようになった。1947年、社長の永田雅一と揉めて大映を退社、東横映画社に移籍し、『三本指の男』や初の潜入捜査官シリーズ『日本Gメン』などに出演した。
激怒の言葉:「わしは何も好き好んで、こんな荒唐無稽の映画に出ているのではない。幸い興行的に当たっているので、大映の経営上のプラスになると思ってやっているのに社長の地位にあるものが幕間のつなぎの映画とは何事だ。もう伴内ものは絶対に撮らない。大映との契約が切れたら再契約しない。」
激怒の言葉:「わしは何も好き好んで、こんな荒唐無稽の映画に出ているのではない。幸い興行的に当たっているので、大映の経営上のプラスになると思ってやっているのに社長の地位にあるものが幕間のつなぎの映画とは何事だ。もう伴内ものは絶対に撮らない。大映との契約が切れたら再契約しない。」