承継
軌跡

人物・来歴

キャリア

  • 起業家・企業家として[編集]1959年(昭和34年)業績が下降を辿り退職が相次いでいた、松風工業社員8人を引き連れ京都セラミツク(現・京セラ)を京都市中京区西ノ京原町で創業する。
  • 1971年(昭和46年)創業12年で大阪証券取引所に株式上場。
  • 1972年(昭和47年)「大規模集積回路用セラミック多層パッケージの開発」により、第18回大河内記念生産特賞を受賞。
  • 1972年(昭和47年)東京証券取引所市場に株式上場をはたす。
  • 1973年(昭和48年)京都セラミックが音頭をとり、日米合併企業となるジャパンソーラーエナジー(JSEC)を設立。
  • 1974年(昭和49年)「電子回路用セラミック積層技術の開発」により、第16回科学技術庁長官賞を受賞。
  • 1984年(昭和59年)稲盛が音頭を取りによる通信事業自由化が決定すると、京セラが資金を投入し民間初となるDDIを設立。(後にケイディディ日本移動通信と合併し、現在のKDDIとなる
  • 1988年(昭和63年)日本セラミックス協会会長に就任。
  • 1998年(平成10年)複写機メーカーの三田工業が 経営に行き詰まり会社更生法の適用を申請した際、三田工業からの要請により、京セラは三田工業の支援を表明した。2000年の更生計画認可を受けて同社を「京セラミタ株式会社」に商号変更し、京セラの子会社とした。そして、9年間の予定の更生計画を2年間で達成した。
  • 2009年(平成21年)ワールド・アントレプレナーシップ・フォーラムで世界起業家賞を受賞。
  • 2010年(平成22年)2月 日本航空会長に無報酬で就任する。「JALフィロソフィ」の策定など積極的な社員の意識改革に取り組み、全従業員の3分の1にあたる1万6千人のリストラを断行して、着任の翌期には営業利益1800億円の高収益企業に生まれ変わらせることに成功。赤字続きだった日本航空を3年足らずで再上場させた。

(経営手法)

その独特な経営管理手法は「アメーバ経営」と呼ばれる。
全国に支部を持つ盛和塾とPHP研究所や致知出版社などの出版社から出版した多数の経営指南書、自己啓発書を通じて多数の企業家の育成に力を注いだ。

受賞・栄典