(生い立ち)
1888年に愛媛県三豊郡比地二村(現香川県三豊市高瀬町)で農業を営む父石井兵吉、母石井ハルの三男として生まれる。父である兵吉は、石井茂兵衛の養子として石井家に入ったが、兵吉を養子とした後、茂兵衛に殷太郎が生まれ分家したため、兵吉一家の暮らし向きは楽ではなかった。1895年に比地小学校に入学した。子供時代の夢は「大臣か代議士に成ること」だった。
1901年(13歳の時)に上京し、宮内省侍医の岡家に書生として住み込みながら、1904年、明治薬科大学の前身である神田薬学校夜間学部(1906年明治薬学校に改称)に入学し、薬学を学ぶ。神田薬学校を選んだ理由は、住み込み先の岡邸に近く、夜間授業を実施していたからである。
1901年(13歳の時)に上京し、宮内省侍医の岡家に書生として住み込みながら、1904年、明治薬科大学の前身である神田薬学校夜間学部(1906年明治薬学校に改称)に入学し、薬学を学ぶ。神田薬学校を選んだ理由は、住み込み先の岡邸に近く、夜間授業を実施していたからである。