承継
軌跡

(幼少期)

ガブリエル・ボヌール・シャネルは、1883年、洗濯婦ウジェニー・ジャンヌ・ドゥヴォル(Eugénie Jeanne Devolle、以下、ジャンヌ)の子として、フランスメーヌ=エ=ロワール県ソーミュールの、修道女会(Sœurs de la Providence)が運営する慈善病院(救貧院)で生まれた[8]:14[9]。ガブリエルはジャンヌとアルベール・シャネル(Albert Chanel)の第二子であり、姉のジュリアが1年ほど前に生まれている[9]。アルベール・シャネルは各地を回って作業着や下着を売り歩く行商人で[10]:27、定住所を持たず市場のある町から町へ移動する生活を送っていた。アルベールがジャンヌ・ドゥヴォルと結婚したのは1884年のことである[8]:16。これはジャンヌの家族に説得されてのことであった。一家は「協力して、事実上」、すでにアルベールに結婚のための「費用を支払っていた」のである[8]:16。

ガブリエル・シャネルの出生届には「Chasnel」と記録された。この時ジャンヌは体調不良で届出に立ち会うことができず、アルベールは「不在」であった[8]:16[11]:41。両親不在のもと、代理人の手で行われた出生届で姓の綴りが間違って登録されたのはおそらく事務的な手違いである。アルベールとジャンヌの間には二男三女があり、一家はブリーヴ=ラ=ガイヤルドの「一部屋だけの住居にすし詰めで」暮らしていた[9]

ガブリエルが12歳の時[3][12] 、母ジャンヌが死去した。ガブリエルことココ・シャネルは母が32歳で結核により死亡したと後に主張しているが[8]:18、「これは必ずしも死因の正確な診断とは言えず、むしろ貧困、妊娠、そして肺炎が原因であった可能性が高い」[9]。父アルベールは息子2人を農場労働者として送り出し、娘3人はオーバジーヌ英語版)の聖母マリア聖心会(religieuses du Saint Cœur de Marie)が運営する孤児院に預けた