承継

本名:納谷 幸喜(あきもと みつぐ)出生名はイヴァーン・ボリシコ(Иван Маркиянович Борышко)で、ウクライナ人の父親を持つ
墓地妙久寺(マップ)東京都江東区北砂2丁目1−40
戒名:大道院殿忍受錬成日鵬大居士
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大鵬 幸喜
(たいほう こうき、1940年昭和15年)5月29日 - 2013年平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)の元大相撲力士。第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。昭和時代の大横綱[3]位階正四位。母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。
               国民栄誉賞受賞者

来歴[編集]誕生から入門[編集]1940年昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコ[注 1]の三男として、日本の領有下にあった南樺太敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた[4]。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した、所謂白系ロシア人であった。なお、南樺太は日本領であったため、大鵬は外国出身横綱にならない。
北海道での生活は母子家庭だったことから大変貧しく、母親の再婚によって住吉姓に改姓した。その再婚相手の職業が教師だったことから学校を毎年異動していたこともあり、しばらくは北海道各地を転々としていた。あまりの貧しさから大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名である。再婚相手とは大鵬が10歳の時に離婚したため、大鵬は納谷姓に戻った。中学校卒業後は一般の同世代の若者と同じ中卒金の卵として北海道弟子屈高等学校定時制に通いながら林野庁関係の仕事をしていたが、1956年(昭和31年)に二所ノ関一行が訓子府町へ巡業に来た時に紹介され、高校を中途退学して入門した。

1956年9月場所にて初土俵を踏んだ。同期には後の大関清國小結沢光前頭大心玉嵐らがいる。入門当初より柏戸と共に横綱確実の大器と評されており「二所ノ関部屋のプリンス」「ゴールデンボーイ」などの愛称を与えられた[8]。 序ノ口時代から大幅な勝ち越しで順調に番付を上げていき1958年3月場所では三段目で優勝、十両目前の西幕下2枚目まで番付を上げていた同年9月場所では3勝5敗で負け越したものの、取的時代の負け越しはこの1場所のみでそれ以外は全て6勝以上挙げている。東幕下筆頭となった1959年3月場所で6勝2敗と勝ち越して十両昇進を決めた。初土俵から幕下時代までは本名の納谷で土俵に上がっていた。

新入幕[編集]1960年(昭和35年)1月場所で新入幕を果たすと、初日から11連勝。新入幕初日から11連勝は千代の山雅信の13連勝に次ぐ昭和以降2位、一場所でのものとしては昭和以降で最多となる。12日目には小結柏戸剛が「止め男」として当てられ、早晩角界を背負って立つライバルとなるだろうと目されていた両者の対戦が早くも実現することになった。

三役時代[編集]続く5月場所は前頭6枚目に下がって出直しとなったが、初日朝汐を破って横綱挑戦3戦目で初勝利、生涯唯一の金星を挙げるなど11勝4敗で二度目の敢闘賞。7月場所で新小結に昇進すると、この場所でも11勝4敗、9月場所では20歳3ヶ月の史上最年少(当時)で新関脇となる。11月場所では13勝2敗の成績を挙げ、これも当時の史上最年少となる20歳5ヶ月で幕内最高優勝を達成し、場所後史上最年少で大関へ昇進した[注 4]入幕した年に大関昇進を果たした力士は2019年現在でも大鵬のみ(入幕から6場所での大関昇進も、年6場所制後最短である)で、同じく入幕した1960年に年間最多勝を獲得という、賞の発足後史上唯一の記録を立てた。小結・関脇では36勝9敗という圧倒的な強さを誇り、合計3場所で通過となった。また、新入幕から6場所目での初優勝は年6場所制以降では当時の最速記録[注 5]だった。この場所でTBSアナウンサーの小坂秀二が「柏鵬時代」という言葉を発したことをきっかけに、それが一気に定着するに至った[8]

新大関となった1961年1月場所は10勝5敗に終わり、13勝2敗で初優勝の柏戸に主役を譲って綱取りの面でも一歩を先んじられる形になった。しかし翌3月場所からほぼ毎場所優勝争いにからみ、7月場所では柏戸と朝潮(もと朝汐)を連破して13勝2敗、大関としての初優勝を果たした。なお朝潮とはこれで対戦成績を4勝4敗と五分にし、これが最後の取組となった。9月場所では14日目に柏戸に敗れ3敗目を喫したが、柏戸と平幕の明武谷との優勝決定戦に臨み巴戦を制して2場所連続優勝。場所後協会横綱審議委員会に大鵬・柏戸両名の横綱昇進を諮問し、両名とも満場一致で横綱に推薦された[13]。大鵬21歳3ヶ月、柏戸22歳9ヶ月での横綱昇進は、ともにそれまでの最年少記録だった照國萬藏の23歳3ヶ月を更新するものだった[注 6]。また横審が内規を定めてから、大関で2場所連続優勝を果たして横綱に昇進したのは大鵬が初めてである。昇進時の口上は「横綱の地位をけがさぬよう今後も精進します」であった[14]

横綱時代[編集]新入幕で初めて敗れた柏戸と競い合い、終戦直後の復興から高度経済成長期の相撲黄金時代を支え、1961年(昭和36年)に揃って横綱に推挙、「柏鵬(はくほう)時代」と言われる黄金時代を築いた。

主な成績[編集]通算成績[編集]
  • 通算成績:872勝182敗136休 勝率.827
    • 幕内成績:746勝144敗136休(幕内勝ち星は歴代5位) 勝率.838
      • 横綱成績:622勝103敗136休(横綱勝ち星は歴代4位) 勝率.858
      • 大関成績:58勝17敗 勝率.773
  • 通算在位:87場所
    • 幕内在位:69場所
      • 横綱在位:58場所(歴代4位)
      • 大関在位:5場所
      • 三役在位:3場所(関脇2場所、小結1場所)
  • 対横綱戦勝利:43勝(若乃花幹士 (初代)と並び歴代1位タイ、勝率も6割を超えている)
  • 年間最多勝:6回(白鵬翔の10回、北の湖敏満の7回に次いで歴代3位。1960年 - 1964年の5年連続最多勝も白鵬翔の9年連続に次いで歴代2位タイ)
    • 1960年(66勝24敗)、1961年(71勝19敗)、1962年(77勝13敗)、1963年(81勝9敗)、1964年(69勝11敗10休)、1967年(70勝6敗14休・柏戸と同数)
  • 連続6場所勝利:84勝(1966年3月場所-1967年1月場所、1966年5月場所-1967年3月場所、1966年7月場所-1967年5月場所)
  • 通算(幕内)連続勝ち越し記録:25場所(歴代10位タイ・1960年5月場所-1964年5月場所)
  • 幕内連続2桁勝利記録:25場所(白鵬51場所・北の湖37場所に次いで歴代3位・1960年5月場所-1964年5月場所)
  • 幕内連続12勝以上勝利:11場所(歴代5位・1962年7月場所-1964年3月場所)
幕内最高優勝32回は、白鵬に次ぐ歴代2位の記録だが、引退当時は最多優勝記録であった。様々な金字塔を打ち立てたが、特に入幕(1960年)から引退(1971年)までの12年間、毎年必ず最低1回は優勝した記録は「一番破られにくい記録」と言われた(現在は白鵬の16年連続に次ぐ歴代2位だが白鵬も「入幕年の優勝」は達成していない)。

連勝記録[編集]

大鵬の最多連勝記録は、45連勝である。(1968年9月場所2日目-1969年3月場所初日。1926年の東西相撲合併以降、歴代4位)

三賞・金星[編集]
  • 三賞:3回
    • 敢闘賞:2回(1960年1月場所、1960年5月場所)
    • 技能賞:1回(1960年9月場所)
  • 金星:1個(朝潮1個)
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      大鵬相撲記念館  北海道川上郡弟子屈町川湯温泉2丁目1-20

  • ※注:このサイトは、大鵬幸喜に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝
このメッセージは、 2023年3月16日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
巨人・大鵬・卵焼き・・と言われた時代を懐かしく思い出します。
本当に、堂々とした立派な相撲ぶりがファンの印象に強く残ります。  合掌

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メッセージ
このメッセージは、 2023年3月16日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
巨人・大鵬・卵焼き・・と言われた時代を懐かしく思い出します。
本当に、堂々とした立派な相撲ぶりがファンの印象に強く残ります。  合掌
軌跡

(少年時代)

大変、貧しかったので大鵬自身が家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名だった
少年時代の苦労が、良い方向に実ったお手本のような見事な人でした。

(三役時代)

小結・関脇では、36勝9敗という圧倒的な強さを誇り、合計3場所で通過となった。
今の相撲界では、考えられないほど「心・技・体」3拍子揃った力士だった。
報告

人生の哲学と明言

㈱スマートシニアさんが2023年3月21日に投稿
  • 「もうだめだ」と思った次の瞬間に「もう一歩!」と踏ん張る「耐える精神力」が、何者にも負けない、打ち勝つ力を養う
  • いろいろな人に会って話をするのもいいけれども、自分の心ができていないのにいくら話を聞いてもそれ以上のことは吸収できません....
  • 上り坂、勢いに乗っている時はいい。窮地に立ったとき、人間の本当の価値が決まる
...大鵬幸喜