最後の暮らし
- 生前から「俺が死んでも誰にも言うな。葬儀も戒名もいらない」と話していたため伏せられていた。が、存命なら16日が米寿(88歳)の誕生日だったことから、事務所が喜久さんと話し合って発表した。
- また、「たまに思い出してくれたらいい。死んだら、ただのカルシウム(骨)だから」とも話していたといい、遺志通り葬儀もお別れの会も行わない。生前自ら用意していた骨壺に入り、自宅に安置されている。
- 体調を崩したのは昨年1月。間質性肺炎で約1カ月入院し、その後は「年齢からして俺は半分引退。静かに過ごしたい」と自宅療養していた。吉田茂元首相の側近で知人だった白洲次郎氏の晩年を見習うように、古美術品収集や庭いじりを楽しんでいたという。