承継
この想いでサイトは、 小林 孝三郎(コーセー化粧品・創設者)さまを永遠に承継するために作成されました。

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本名:小林孝三郎(こばやし こうざぶろう)
戒名:
墓地: 


小林孝三郎(こばやし こうざぶろう、1897年6月29日 - 1995年7月22日)は、茨城県岩井市生まれの実業家であり、コーセーの創設者である

長男は第2代社長の小林禮次郎、三男は第3代社長の小林保清。孫は第4代社長の小林一俊

略歴[編集]
  • 1946年 - 小林合名会社設立、コーセー化粧品の製造・販売をスタート。
  • 1948年 - 小林コーセー設立、代表取締役社長就任。
  • 1951年 - コーセー商事会社設立。
  • 1956年 - 株式会社アルビオン設立。
  • 1965年 - 株式会社アルビオン代表取締役会長就任。
  • 1981年 - 小林コーセー代表取締役会長就任。
  • 1991年 - 社名をコーセーに変更。
  • 1995年 - コーセー名誉会長就任。

写真 コスメトロジー研究振興財団 初代理事長 小林孝三郎

初代理事長 小林 孝三郎略歴明治30年6月29日茨城県に生まれる             明治45年化粧品メーカーの高橋東洋堂に入社昭和15年営業面での最高責任者として管理部部長に就任昭和20年高橋東洋堂を退社                         昭和21年小林合名会社(化粧品の製造・販売)を設立昭和23年株式会社小林コーセーを設立し、代表取締役社長に就任                             昭和31年株式会社アルビオンを設立昭和37年東京化粧品工業会の副会長に就任
フランスロレアル社と技術提携昭和42年東京化粧品工業会会長及び日本化粧品工業連合会代表理事に就任                                   昭和44年コーセー高等美容学校を設立し、校長に就任昭和56年株式会社小林コーセーの代表取締役会長に就任平成2年化粧品学の進展のために私財10億円を投じて「財団法人コスメトロジー研究振興財団」を設立し、理事長に就任平成7年株式会社コーセーの名誉会長に就任平成7年7月22日逝去(享年98歳)叙勲等昭和45年勲三等瑞宝章を受章昭和48年フランスの国家勲章オードル・ナショナル・ド・メリットを受章昭和63年故郷岩井市に私財1億円を寄付し、奨学基金を設置平成5年岩井市より名誉市民の称号を贈られる
小林孝三郎の名言
〇思い立ったが吉日で、常に現時点をチャンスに好機と考えて行動すること        〇チャンス、好機というものはすべての人々に平等にやってくる。だがそのチャンスを掴む  ことは難しい。多くの人々は、あとになって「あのときがチャンスだったのだ」と気づくが、その時はもう遅い。                                   〇どんな時代であっても成功に導くのは工夫を凝らしたやり方である。やり方さえ間違えねば必ず成功する。そしてチャンスは常にある、今もある・・・・。           〇多くの人は、チャンスや運は「やってくるもの」「あたえられるもの」「恵まれるもの」と思い込んでいる。「チャンスや運に恵まれることはごくわずかで、一生のうち何回もない」と一般の人は考える。しかし小林の考えは全く違っている。            〇「チャンスは常にある、いまもある」と考えていたわけだ。つまり、思い立ったが吉日で、常に今の時点を〝チャンス〟〝好機〟と考えて行動することこそが大切な男の生き方だというわけだ。                                  〇小林は「運イコール実力、遊んでいて運は掴めない」と語っているが、これもまた運を追い求めて必死に戦い続けてきた人間だからこそ言える言葉であろう。          〇『運はハコブ』なり(運という字はハコブという字でもある)と言って、自分から取りに行くという積極さこそが大切だというわけだ。
           本社
         コーセー化粧品本社  東京都中央区日本橋3-6-2          
  • ※注:このサイトは、小林孝三郎に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 
  


                      
このメッセージは、 2023年3月15日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
サイトを読むだけで勉強になります!ありがとうございます。
このメッセージは、 2023年3月14日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
戦後間もないころ、51歳で独立、敗戦の混乱で原料・材料の全く無い中「現時点を好機」として行動し続けコーセーの基盤を作った化粧品ひとすじの人だった。
女性美に貢献した誠実な事業家を忘れません。     合掌

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このメッセージは、 2023年3月15日に、墓マイラー趣味クラブさんが投稿
サイトを読むだけで勉強になります!ありがとうございます。
このメッセージは、 2023年3月14日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
戦後間もないころ、51歳で独立、敗戦の混乱で原料・材料の全く無い中「現時点を好機」として行動し続けコーセーの基盤を作った化粧品ひとすじの人だった。
女性美に貢献した誠実な事業家を忘れません。     合掌
軌跡

(化粧品メーカーに勤務)

高等学校卒業後、明治45年、創業明治26年の化粧品製造メーカーである高橋東洋堂に入社し、太平洋戦争で日本が敗れた翌年の昭和21年まで35年間を化粧品ひとすじで勤めた。

(戦後に独立)

高橋東洋堂から独立し、昭和21年、51歳にして小林合名会社を設立、2年後、昭和23年に株式会社小林コーセーを設立し、代表取締役に就任した。

(信用第一の商いを貫く)

終戦後の品不足の中、化粧品がヤミで公定価格の2倍にも、3倍にも売れるという時代に自社の商品の品質と信用を保つため、日本初となる「小売店直接販売方式」による定価販売の協約制度を導入するなど、既成概念にとらわれることなく順調に会社を拡大していった。
まさに、信念の人であった。