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この追悼サイトは、 邱永漢 (作家、実業家、経営コンサルタント)さまのために作成されました。

享年88歳 、誕生日 1924年3月28日、命日 2012年5月16日
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邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 2012年5月16日)は、日本および台湾実業家作家経済評論家経営コンサルタント。株式会社邱永漢事務所代表取締役

旧本名は邱炳南、帰化後の本名は丘永漢。初期の筆名は邱炳南および丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。日本亡命後に筆名「邱永漢」を使うようになり、この筆名は戦前の台湾文学界で活躍した作家の西川満がつけたという説があるが、邱本人が否定している[1]

経歴[編集]
1924年3月、婚外子として日本統治時代の台湾台南市に生まれる。10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人。

1937年、13歳のとき台北高校尋常科に入学。このころから文学に志して自ら詩を書き、個人雑誌『月来香』を発行。16歳で「台湾詩人協会」の普通会員(最年少)となり、邱炳南名義で詩作を西川満が主宰する『華麗島』創刊号に発表。台北高校の同窓に李登輝がいた

1943年10月、東京帝国大学経済学部入学。これについて本人は「文学部ではなく経済学部を選んだことは学校のクラスメイトや教師たちを驚かせた。私の文学かぶれはあまねく全校生徒に知れ渡っており、私が文学部にすすむのは当然のことと思われていたからである。私がそうしなかったのは、植民地台湾に生まれた私のような人間が将来、文学を志しても生計を立てていく自信がなかったからである」(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)と記している。しかし文学への関心やみがたく、仏文科の辰野隆の講義も聴講した。

1944年3月 邱の友人の冗談を真に受けた麹町憲兵隊によりスパイ容疑で逮捕されたが1週間で釈放。このころ、経済学部の定期試験で満州国の統制経済について問われ、日本の満州支配を経済学的に批判したところ、不穏思想の持ち主として退学処分になりかけたこともある。

1945年に東京帝国大学経済学部を卒業後、大学院で財政学を研究。大学院時代に東大社会科学研究会(のちの全学連の母体)を創設し、当時まだ珍しかった世論調査を実行した。1946年に大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営や中学の英語教師や銀行シンクタンク研究員を経験。砂糖の密輸に手を出して逮捕されたこともある

1948年台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港亡命。日本統治時代から台湾を代表する知識人とみられていた廖文毅 (りょうぶんき、1910-)が国民党政府を批判して書いた「台湾に国民投票を実施するための請願書」を英語に翻訳し、欧米のメディアに掲載させたことで、当局が犯人さがしをはじめたことがきっかけだった[2]。香港では廖の秘書をつとめ、日本に移った廖のあとを追うように日本に渡る[3]。廖は日本で台湾独立組織をつくり、「台湾共和国臨時政府」の臨時大統領に就任[4]。ただし、邱自身は、日本に渡ったのは独立運動のためではなく、娘の病気の治療のためだと語っている[4]

香港への亡命時代、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。1950年には月収が当時の金で100万円に達し、香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった

このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆した。1954年1月、西川満の紹介により「密入国者の手記」が『大衆文芸』1月号に掲載される。「密入国者の手記」は、邱の友人であり、台湾独立運動の創始者である王育徳の日本亡命の経緯を描いたものである[5]

密入国者の手記山岡荘八村上元三から評価され、『大衆文芸』誌で作家デビュー。同1954年4月、事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ね、日本に移住した檀一雄が怪我で入院したことを知り、入院先に押しかけて、日本の敗戦から国外逃亡・日本への亡命などの経験を元にした自伝的な短編作品を売り込んだ[6]。「異常な体験をしたせいで文学的貯金があった」とのちに語った[6]。同年12月、檀一雄佐藤春夫の後押しで『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である 1958年からは雑誌『中央公論』で、『西遊記』を連載。古典文学と当時の社会風刺を巧みに織り交ぜた文体で好評を博し、五年四カ月にわたる長期連載となった。同著は経済学者の中山伊知郎から激賞されたが、中国文学者からは批判された。[7]

1967年から1969年まで、邱が経営する株式会社求美が出資して、雑誌話の特集を刊行していた[8]

1971年には、ニクソンショックによる台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。このため一部の人々から「カネ欲しさに国民党に魂を売った」と非難された。台北に残る邱永漢ビルはこの時期に建てたものである。やがて事業不振のため日本に再移住。第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を患い入院したことがある。

1980年3月、家族と共に日本国籍を取得。その直後の第12回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選した。

1993年11月4日、台北から香港(当時は啓徳空港)まで乗っていた中華航空ジャンボ機空港の滑走路をオーバーランし海に突入する事故を起こすも、生還(ちなみにこの事故は全員が生還している)。

1998年香港返還を目前に、香港に移住。のち中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいた。

2012年5月16日、東京都内の病院で心不全のため死去[9]。88歳没[10]
著書 <編集>
  • 金銭読本 (中央公論社 1959年 のち文庫)
  • 象牙の箸 (中央公論社 1960年 のち文庫)
  • 被害者は誰だ (光文社 1960年)
  • 投資家読本 (朝日新聞社 1961年)
  • キチガイ日本 (南北社 1961年)
  • 投資家のための会社拝見 (角川書店 1961年)
  • もうかりまっか (筑摩書房 1961年)
  • これが成長株だ (対談集 経済春秋社 1961年)
  • 食前食後 漢方の話 (婦人画報社 1962年 のち中公文庫)
  • 新説二宮尊徳 (春秋社 1963年)
  • いどばた論語 (日本経済新聞社 1964年)
  • 奥様はお料理が好き (三和図書 1964年 のち中公文庫)
  • 財界の鉱脈 小林一三大屋晋三 (南北社 1964年)
  • 何をたよりに生きようか (日本経済新聞社 1966年)
  • ゼイキン報告 (日本経済新聞社・新書 1967年)
  • 実例経営教室 アイデアのたたかい (対談集 中央経済社 1968年)
  • 借金学入門 (日本経済新聞社 1968年)
  • 誰も教えてくれない女の商売成功の秘訣 (日本経済新聞社 1968年)
  • 事業家・資産家のための邱永漢・節税の実際 (日本実業出版社 1969年)
  • 株の体験 株で儲けるために (徳間書店 1970年)
  • お金の値打ち 永久インフレ時代の利殖学 (徳間書店 1970年 のち文庫)
  • サラリーマン出門 (日本経済新聞社 1970年 のちワニ文庫)
  • もうけ話 (実業之日本社 1971年)
  • 邱永漢自選集 (全10巻 徳間書店 1971年-1972年)
  • 銀行とつきあう法 (日本経済新聞社 1971年)
  • 邱永漢の金儲け相談室 (東京スポーツ新聞社 1971年(ライフ・ブックス))
  • 株の発想 株式投資の実際 (日本証券新聞社 1972年)
  • 金とヒマの研究 遊びながら儲け儲けながら遊ぶ (徳間書店 1972年 のち文庫)
  • 世の中どう変る 金儲けの発想 (日本経済新聞社 1972年)
  • 金儲け未来学 5年さきの成功を約束する (徳間書店 1972年 のち文庫)
  • 新ゼイキン報告 (日本経済新聞社 1973年)
  • 成功の法則 (日本能率協会 1973年 のち知的生き方文庫)
  • 邱永漢のこれからの金儲け (東京スポーツ新聞社 1973年(ライフ・ブックス))
  • 邱永漢の海外投資の実際 (産業能率短期大学出版部 1974年)
  • 社長学入門 金のもうかる処世と交際術 (日本実業出版社 1974年)
  • 日本人の堕落 諸悪の根源は金である (徳間書店 1974年)
  • 絵の相場 (日本経済新聞社 1974年)
  • 会社社会ニッポン 愛社精神がなぜ悪い (日本経済新聞社 1975年)
  • お金も頼りにならない これからの日本人の財産 (徳間書店 1976年)
  • カネの流れが変わった 株式投資の盲点 (日本経済新聞社 1977年)
  • 妻の財産づくり 理財・相続・節税・老後の考え方と処方箋 (日本実業出版社 1977年)
  • 私の金儲け自伝 (徳間書店 1977年 のちPHP文庫)
  • 変化こそチャンス この時代に儲ける発想 (プレジデント社 1978年)
  • 女の国籍 (日本経済新聞社 1979年)
  • 悪い世の中に生きる知恵 (日本経済新聞社 1979年)
  • 変化に生きる Q対談 (日本経済新聞社 1979年)
  • インフレに相乗りする法 (日本経済新聞社 1980年)
  • 香港の挑戦 日本経済人への警告 (中央公論社 1981年)
  • たいわん物語 (中央公論社 1981年)
  • お金の使い方 (中央公論社 1981年 のち文庫)
  • 食べて儲けて考えて (PHP研究所 1982年 のち文庫)
  • ダテに年はとらず 熟年を優雅に生きる法 (PHP研究所 1982年 のち文庫)
  • 固定観念を脱する法 (日本経済新聞社 1982年(Q books))
  • 邱飯店のメニュー (中央公論社 1983年 のち文庫)
  • 朝は夜より賢い 私の体験的ピンチ脱出法 (実業之日本社 1983年 のちPHP文庫)
  • 奔放なる発想 時代を読む・経済を見抜く (PHP研究所 1983年 のち文庫)
  • 子育てはお金の教育から お金で失敗しない親子関係 (ベストセラーズ 1983年(ワニの本) のちPHP文庫)
  • 日本で最もユニークな経営者小林一三伝 (日本経済新聞社 1983年(Q books))
  • 人生後半のための経済設計 (日本経済新聞社 1983年(Q books))
  • 死に方・辞め方・別れ方 (PHP研究所 1983年 のち文庫)
  • 先の見えない者は滅びる (グラフ社 1984年)
  • メシの食える経済学 (グラフ社 1984年)
  • 女もお金で勝負する (グラフ社 1984年)
  • 金銭処世学 (中央公論社 1984年 のち文庫)
  • 人の集まる所に金が集まる 経済の先を読む (日本経済新聞社 1984年)
  • 賢者は中金持ちをめざす (読売新聞社 1984年 のち知的生き方文庫)
  • 女の商売成功の秘訣 (日本経済新聞社 1984年(Q books))
  • 食指が動く 世界の美味食べ歩き (日本経済新聞社 1984年 のち中公文庫)
  • 野心家の時間割 人生の勝者となるための行動学 チャンスは自分の手でつかめ! (PHP研究所 1984年 のち文庫)
  • 人が動く、金が動く 経済オンチ・時代オンチにならない法 (PHP研究所 1984年 のち文庫)
  • 努力しないで金持ちになる法 (学習研究社 1984年)
  • 邱永漢の商売入門 (ごま書房 1984年(ゴマブックス))
  • 日本人が見えてくる エスニック人間の日本人論 (グラフ社 1985年)
  • 金銭通は、人間通 (PHP研究所 1985年 のち文庫)
  • お金の貯まる人はここが違う (ごま書房 1985年 のち知恵の森文庫)
  • 籠いっぱいの価値ある情報 (PHP研究所 1985年 のち文庫)
  • 貧しからず富に溺れず (実業之日本社 1985年)
  • 国際感覚をみがく法 私の海外投資術 (日本経済新聞社 1985年)
  • 途中下車でも生きられる 実力社会でどう勝負するか 現状維持だけが人生ではない! (PHP研究所 1985年 のち文庫)
  • メシの食える経済学 お金に恵まれる人生への手引き (グラフ社 1986年)
  • 失敗の中にノウハウあり 金儲けの神様邱永漢が儲けそこなった話 (グラフ社 1986年 のちPHP文庫)
  • こんなに違う金銭感覚 邱永漢のマネー・インタビュー (西武タイム 1986年)
  • 家計と借金の法則 借金せずに金持ちになった人はいない! (グラフ社 1986年)
  • 株の目事業の目 (PHP研究所 1986年)
  • 変わる世の中変わらぬ鉄則 (実業之日本社 1986年)
  • 斜陽のあと、陽はまた昇る。 ビジネス変化の先を読む (PHP研究所 1986年)
  • 若気の至りも四十迄 (中央公論社 1986年)
  • お金も人もまっしぐら 借りて運んで楽しんで (日本経済新聞社 1986年)
  • 花の中年お金の分別 現代マネー学 (講談社 1986年)
  • 一家に一台、火の車 (文化出版局 1987年)
  • いま、お金絶対常識 恐れていてはお金はつかめない (青春出版社 1987年(プレイブックス))
  • いま、波に乗る財産づくり 小さなお金で大きな望み (徳間書店 1987年 のち文庫)
  • 邱永漢のおカネ八目 (読売新聞社 1987年)
  • みんな同じわけがない 人間に関心を持てば世界が見える (PHP研究所 1987年 のち文庫)                       その他・多数
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このメッセージは、 2025年1月22日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた邱永漢は、経営・経済の著書を数多く遺し、経営コンサルタントとしても評価が高かった。 今も信奉者が多く愛読者は幅広い。      合掌

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このメッセージは、 2025年1月22日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
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