承継
軌跡

(漫画家を志したキッカケ)

終戦後、小学校三年から福岡県小倉市(現・北九州市)に移る[9]。小倉市立米町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)のときから漫画少年で、高井研一郎らと同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。 松本が漫画家を志した理由は彼が小学二・三年の頃にあった学級文庫である。それは手塚治虫の漫画『新宝島』『キングコング』『火星博士』『月世界紳士』であった。[12] 小倉市立菊陵中学校(現・北九州市立菊陵中学校)に進学。

(生い立ち)

父親である松本強[注釈 1] は、一兵卒として大日本帝国陸軍に入営し、厳しい選抜を経て将校に抜擢された人であり(陸軍少尉候補者 第10期、最終階級は陸軍少佐)、また陸軍航空隊の古参の空中勤務者(パイロット)であった。

第二次世界大戦中、零士の父がテストパイロットをやっていた関係で、幼少期の一時期(1940年頃)、陸軍各務原飛行場がある現在の岐阜県各務原市に住み[6][7][注釈 2]、4歳から6歳まで兵庫県明石市川崎航空機の社宅に住んでいた[8][9]。その後は、母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた[8][10](両親共に大洲市の出身である

(ペンネームの由来)

デビューから1968年までは本名のひらがな表記である松本 あきらペンネームを使用。松本零士名義は1965年から松本あきら名義と並行して使い始め、1968年に松本零士にペンネームを一本化した。ペンネームの由来は、“零歳児の感性をいつまでも忘れずに”というモットー、夜半―午前零時を過ぎないとアイデアが浮かばない事が度々あった事、“毎日夜零時まで働く士(サムライ)”から。

2008年5月に北九州で行われた『毎日フォーラム』では“零士の零は無限大の「れい」、士は「さむらい」、また本名である「あきら」とも読む”と語った。

零士をローマ字で表記する場合、Reijiとはせず、Leijiとする。RでなくLを使っているのは、少年時代に愛読していた山川惣治絵物語『少年王者』に登場する悪役ライオン「ライオンL」が強くて逞しかったことから[4]