法名:商徳院釋尼昌縁 (商いの女神の法名) 令和三年十二月二十二日
昭和18年11月3日 厚田郡厚田村大字別狩に伊藤与三郎・ナツの三男三女の次女として生まれる。
厚田中学校卒業後、中央バスの車掌として勤務しました。
昭和40年6月 竹田良男と結婚し、同年8月 2021年現在の真駒内曙町にて竹田青果店を開業し現在に至る。
故人の人柄・趣味・思い出など
日頃から外出先でも初対面であったとしても誰とでも、すぐ打ち解ける人懐っこい明るい性格でした。自らも「商人だから」が口癖であり、商売が大好きでお客様からも大変慕われていました。
忙しい日々の中でも仕事中や夜仕事を終えた後、大好きなカラオケで歌うのが趣味でした。
カラオケ教室にも通い、発表会に出演するのも楽しみにしていました。
8才・5才になる孫娘のことも大変可愛がってくれる優しい祖母でもありました。
幼稚園の運動会や、孫のバレエの発表会など、行事やイベント事には必ず駆けつけてくれていました。
休日は、ドライブがてら故郷の厚田村に魚を買いつけに行ったり、温泉に行ったりと出歩くことも楽しみにしていました。
自分の事よりも家族や人の事を第一に考える我慢強く、優しい思いやりのある母でした。
2021年12月23日 記載
昭和18年11月3日 厚田郡厚田村大字別狩に伊藤与三郎・ナツの三男三女の次女として生まれる。
厚田中学校卒業後、中央バスの車掌として勤務しました。
昭和40年6月 竹田良男と結婚し、同年8月 2021年現在の真駒内曙町にて竹田青果店を開業し現在に至る。
故人の人柄・趣味・思い出など
日頃から外出先でも初対面であったとしても誰とでも、すぐ打ち解ける人懐っこい明るい性格でした。自らも「商人だから」が口癖であり、商売が大好きでお客様からも大変慕われていました。
忙しい日々の中でも仕事中や夜仕事を終えた後、大好きなカラオケで歌うのが趣味でした。
カラオケ教室にも通い、発表会に出演するのも楽しみにしていました。
8才・5才になる孫娘のことも大変可愛がってくれる優しい祖母でもありました。
幼稚園の運動会や、孫のバレエの発表会など、行事やイベント事には必ず駆けつけてくれていました。
休日は、ドライブがてら故郷の厚田村に魚を買いつけに行ったり、温泉に行ったりと出歩くことも楽しみにしていました。
自分の事よりも家族や人の事を第一に考える我慢強く、優しい思いやりのある母でした。
2021年12月23日 記載
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