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この想いでサイトは、 三橋 美智也(昭和歌謡界を代表する一人)さまを承継するために作成されました。

享年65歳 、誕生日 1930年11月10日、命日 1996年1月8日
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三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也[2]1930年11月10日 - 1996年1月8日)は、北海道上磯郡上磯町峩朗(現在の北斗市)生まれ、函館市育ちの流行歌手。愛称は「みっちゃん」「ミッチー」。

民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味に、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発。販売枚数は歌謡界史上最多の1億6千枚といわれている、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人[3]。特に全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇った[4]

来歴・生涯[編集]セメント会社の作業員だった父は三橋が3歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなる。母は渡島当別に転居して川田男爵イモ農場に住み込みで就職し、翌年には作業員の男性と再婚。この夫婦の間には3人の弟と1人の妹が出来る。その後は養父が国鉄の職員となり、函館市万代町へ転居。一方の三橋は5歳の頃から舞台を踏み、民謡歌手だった母に幼い頃から鍛えられ、小学校の入学と同時に叔父から追分を習い、9歳の時に全道民謡コンクールで優勝。この頃に海で右耳ウツボに突っつかれ難聴になる。その後は巡業に参加などしつつ家計を支え、12歳の時にコロムビアで民謡を吹き込む。
19歳の時に「歌だけではなく違う世界も知りたい」と三味線一本を持って上京し、榎本健一古川ロッパの家に弟子入り志願で出向いた事もあった。その後は横浜市綱島温泉「東京園」で民謡教室のアルバイトをする傍ら、ボイラーマンの仕事もしていた。人一倍真面目に働き、その勤勉さを風呂屋の主人に見込まれ、21歳になった1951年には明大中野高校定時制に通うことを許された。高校入学と同時に「東京園」で世話になった北沢家と養子縁組をしたほか、NHK「邦楽オーディション」に合格。高校では普通の生徒よりもずっと年上で、彼らから「おとっさん」と呼ばれ親しまれた。
1953年、弟子の吹き込みに三味線伴奏者として同行した際、三橋のレッスンの声がディレクターの耳にとまり、キングレコードの専属歌手として契約。明治大学への進学も決まった1954年に「酒の苦さよ」でデビューすると、1955年に「おんな船頭唄」が大ヒット。たちまち人気歌手の仲間入りを果たすと、学業どころではなくなったため大学を中退。その後も昭和30年代には「あの娘が泣いてる波止場」「リンゴ村から」「哀愁列車」「母恋吹雪」「さらば東京」「夕焼けとんび」「古城」「達者でナ」「星屑の町」などの歌謡曲、「北海盆」「花笠音頭」「ソーラン節」「津軽じょんから節」「炭鉱節」「黒田節」などの民謡がミリオンセラーとなり、「三橋で明けて三橋で暮れる(三橋で暮れて三橋で明ける とも)」と言われるほどの人気を得る。キングの全盛期を春日八郎若原一郎と共に築き上げ、「キング三羽烏」「三人男」と呼ばれる。
1976年5月には帝国劇場藤本義一脚本の舞台「津軽三味線ながれぶし」に出演し、片岡仁左衛門山田五十鈴赤木春恵市原悦子花紀京浜畑賢吉と共演。連日超満員の記録を作った。同年8月には「日本各地に残る民謡こそ日本人の歌の故郷」という想いから、自ら家元になって「民謡三橋流」を創設し、1977年12月には東京都世田谷区南烏山の自宅に「根本道場是空庵」を開設。門下に千昌夫細川たかし石川さゆりらがいる。
1983年には日本の歌手として史上初めてレコードのプレス枚数が1億枚を突破する記録を打ち立て、生涯のレコード売上は1億600万枚となった[注 1]ブラジル(1979年)・香港(1981年)・韓国1985年)でも公演を行っており、ブラジルでは最高勲章を受賞。1985年にはハワイ「NBCコンサートホール」で公演を行った後、ディズニーランド創立30周年記念公演も行った。1986年には静岡県熱海市に高級リゾートホテル「サン三橋」を落成し、45億円を投資した。1988年には親交が深かった春日・村田英雄三人の会を結成し、演歌界の活性化を図った。
私生活[編集]一方、私生活では二子をもうけた糟糠の妻・喜久子と1966年に離婚[注 2]。その後は再婚して三人の子宝にも恵まれたが、晩年は妻からの家庭内暴力[注 3]や財産乗っ取り[注 4]に苦しむ。1992年には「サン三橋」が倒産し[注 5]、200億円の負債を抱える。1994年からは東京の自宅を出て、大阪市西成区のマネージャー宅で暮らしていた[注 6]。   1995年
5月には阪神大震災復興支援チャリティーゴルフコンペを開いたが、同年10月26日の18時35分頃、滋賀県甲賀郡信楽町(現在の甲賀市)の「タラオカントリークラブ」での帰路、走行中のタクシー車内で心臓発作を起こし、西成区岸里の「山本第一病院」に再入院。その後も意識不明の重体のまま、阿倍野区旭町の大阪市立大学医学部附属病院に転院したが、1996年1月8日午前11時30分、意識が戻ることなく多臓器不全のため亡くなった[1]。65歳没。前年9月11日東京プリンスホテルで開かれた玉置宏の芸能生活40周年記念パーティー「玉置節で40年!!」に出席して「哀愁列車」を歌唱し、10月8日テレビ東京日曜ビッグスペシャルで放映されたのが、三橋の生涯最後の歌唱映像となった。2日後の1996年1月10日通夜が、翌11日密葬告別式が西成区玉出の「光福寺」で取り行われた。法名は妙聲院釋智誠大居士(みょうしょういんしゃくちじょうだいこじ)。その後、2月5日には青山葬儀所で音楽葬が行われ、約2000人が列席。献唱曲は自身の大ヒット曲である「古城」だった。現在は墓所が2つあり、東京都の小平霊園と大阪府東大阪市の石切霊園。
受賞[編集]ミリオンセラー30曲一覧[編集]歌謡曲:18曲[編集]
  • 1位「古城」300万枚
  • 2位「リンゴ村から」「星屑の町」270万枚
  • 4位「哀愁列車」250万枚
  • 5位「夕焼けとんび」「達者でナ」220万枚
  • 7位「おんな船頭唄」「母恋吹雪」200万枚
  • 9位「あの娘が泣いてる波止場」180万枚
  • 10位「お花ちゃん」「一本刀土俵入り」「赤い夕陽の故郷」「武田節」「石狩川悲歌」150万枚
  • 15位「男涙の子守唄」120万枚
  • 16位「あゝ新撰組」「おさげと花と地蔵さんと」110万枚
  • 18位「おさらば東京」100万枚
民謡:12曲[編集]
  • 1位「相馬盆唄」「炭鉱節」280万枚
  • 3位「花笠音頭」270万枚
  • 4位「黒田節」「北海盆唄」260万枚
  • 6位「ソーラン節」「斉太郎節」「佐渡おけさ」250万枚
  • 9位「津軽じょんから節」180万枚
  • 10位「木曽節」「江差追分」170万枚
  • 12位「相川音頭」130万枚
ミリオンセラーに続く上位ヒットソング[編集]
  • 1位「ギター鴎」
  • 2位「岩手の和尚さん」
  • 3位「ご機嫌さんよ達者かね」
  • 4位「俺ら炭鉱夫」
  • 5位「リンゴ花咲く故郷へ」
  • 6位「センチメンタル・トーキョー」
  • 7位「新撰組の唄」
  • 8位「玄海船乗り」
  • 9位「江差恋しや」
  • 10位「東京の鳩」
  • 11位「みれん峠」
  • 12位「島の船唄」
  • 13位「君は海鳥渡り鳥」
  • 14位「東京見物」
  • 15位「泪と侍」
  • 16位「かすりの女と背広の男」
  • 17位「北海の終列車」
  • 18位「堀のある町」
  • 19位「酒の苦さよ〜新相馬節〜」
  • 20位「船頭追分」
  • 21位「縁があったらまた逢おう」
  • 22位「夢で逢えるさ」
  • 23位「東京が泣いている」
  • 24位「いいもんだな故郷は」
  • 25位「御存知赤城山」
  • 26位「手まり数え唄」
  • 27位「木曽恋がらす」
  • 28位「草笛の丘」
  • 29位「笛吹峠」
  • 30位「鳴門海峡」
  • 31位「京都が泣いている」
  • 32位「越後絶唱」
  • 33位「さすらい船」
  • 34位「父子星」
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        三橋美智也生誕の地碑
            北海道北斗市市渡1-1-1

  • ※注:このサイトは、三橋美智也に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

このメッセージは、 2023年6月26日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
民謡で鍛え上げた張りのある歌声。 民謡演歌の第一人者。 
「日本各地に残る民謡こそ日本人の歌の故郷」という想いから自ら家元になって「民謡・三橋流」を創設し、多くの弟子を養成しました。
このメッセージは、 2023年6月23日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
生涯のレコード売上は、1億600万枚となった昭和歌謡界を代表する大歌手、三橋美智也を決して忘れません!  
歌謡曲・民謡ともミリオンセラーを多く出し、ブラジル、香港、韓国、ハワイでも公演を行って感動を与えました。
混迷の時代にこそ真の歌声を聴きたいものです。

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メッセージ
このメッセージは、 2023年6月26日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
民謡で鍛え上げた張りのある歌声。 民謡演歌の第一人者。 
「日本各地に残る民謡こそ日本人の歌の故郷」という想いから自ら家元になって「民謡・三橋流」を創設し、多くの弟子を養成しました。
このメッセージは、 2023年6月23日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
生涯のレコード売上は、1億600万枚となった昭和歌謡界を代表する大歌手、三橋美智也を決して忘れません!  
歌謡曲・民謡ともミリオンセラーを多く出し、ブラジル、香港、韓国、ハワイでも公演を行って感動を与えました。
混迷の時代にこそ真の歌声を聴きたいものです。