(生い立ち)
1898年5月16日、東京市本郷区湯島新花町11番地(現在の東京都文京区湯島2丁目辺り)に、父・善太郎と母・まさの長男として生まれた[1][2]。3人姉弟の2番目で、7歳上の姉に寿々、7歳下の弟に善男がいる[3]。父方の祖父の彦太郎は、明治維新後に神田で請負業を営み、日清戦争や北清事変では軍夫を募集して戦地に送っていた[4]。善太郎は大工[5](屋根葺職人という説もある[6])で、一儲けしようと折からの日露戦争を当て込んで軍隊用雨合羽の製造事業を始めたが、いざ売り出そうとした時に戦争が終結したため失敗した[5]。まさは御殿医の家の娘だったが、夫に忠実に苦労続きの生活に耐え、やがて病に倒れた[1]。善太郎の事業失敗で借財がかさみ、家も差し押さえられたため、1905年に一家は浅草玉姫町(現在の台東区清川辺り)に引っ越した[2]。この時期の溝口家は貧窮のどん底生活を送り、口減らしのために寿々は養女に出された[5]。