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死生観ー死の床で「馬鹿らしい」

平沼真一さんが2023年5月27日に投稿
鴎外は死に直面して本気で馬鹿らしくなったのだ。 己の人生すべてが....
今で言うエリート
森家は代々藩主に仕える家系だが、祖父も祖母も他家から入った人なので、鴎外と森家の祖に血縁関係はない。一家、いや一族にとって、鴎外(林太郎)は燦然と輝く希望の星だった。当然、過大な期待が一身に集まる。特に絵に描いたような「封建時代の良妻賢母」である峰子とその母・清子の意気込みは半端ではなかった。林太郎の立身出世を成功させ、森家の家名を上げる。それが母娘畢生の事業となったのだ。鴎外の末子・類はその様子を「林さあ(父、森林太郎)を偉くする為めには寒くても、饑じくても、結束して事に当たってきた一族」(「鴎外の子供たち」より)と表現している。二人は林太郎を掌中の珠として育てながらも、武家の男子として恥ずかしくない気概と教養、そして出世のための学問を身につけさせようとした。
教育熱心な母、が両親と、従順な子供
実際には仮名の手習いどころではなかった。六歳でいきなり儒者について漢籍の勉強を始め、八歳で藩校に入れられたのである。さらに九歳になると父からオランダ語を習うようになった。とんでもない英才教育だ。飛び級に次ぐ飛び級で19歳にして第一大学区医学校(現・東京大学医学部)本科を卒業した鴎外は、数ヶ月父を助けて開業医をやっていた。
晩年の病気と、本音
大正十(1921)年頃から、結核菌による腎不全と思しき兆候が出始めた。そして、この頃から、若い頃のような神経質でピリピリした鴎外が戻ってきた。病が、鴎外の仮面を剥がし始めたのだ。理性が力を失っていく中で、心中に強く浮かび上がってきたのは、家族のため、一族のためにひたすら我慢してきた人生への悔恨だったのではないか。 親の期待以上の立身出世を果たし、歴史に名を残した一生。だがそれは何一つ思う通りにできなかった一生をも意味する。
馬鹿らしいの意味
 軍での経歴も、文名も、社会的地位も、もしかしたら「森一族」でさえ、もうどうでもよくなったのだろう。脳裏には、好きなように生きた静男の姿がよぎっていたのかもしれない。 死の床に就いた鴎外は一切の医療を拒否した。妻の半狂乱の懇願さえ、凍りついた心を溶かすことはできなかった。「一切を打ち切る重大事件」を前にして、彼が望んだことはたった一つだったのだ。
 無駄な延命を拒否して、好きなように死んでいくこと。
理性の箍が失われるやいなや「馬鹿らしい」と連呼せざるをえなかったほどの抑圧に耐えきったことこそ、鴎外がやり遂げた一番の仕事であり、真に讃えられるべき功績なのかもしれない。
 人間、好きなように生きなければ、幸せには死ねないものだ。

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