承継
軌跡

(エピソード)

  • アマチュアサッカー選手出身、Akademisk Boldklub(ABコペンハーゲン)ゴールキーパー[7]。なお、ボーアは若い頃サッカーが得意だったが、デンマーク正代表選手としてオリンピックに出場し銀メダルを獲得したのは弟のハラルト・ボーアである[8]。ハラルトは数学者で、リーマンゼータ関数を研究し、また概周期函数を発見した。文武両道のハラルトに比べ、数学の虫だったニールスはサッカーの試合で失点する度に「ニールスはゴールキーパーなのに頭の中は数学の事でいっぱいだからシュートが止められない」と数学好きと絡めて茶化され、果てには「紙に数式をメモしている間にゴールされてしまった」という逸話がジョークとして残っている。1908年ロンドンオリンピックは欠員が出た場合の予備選手として声がかかっていたが本選には招集されていない。
  • 弟は2歳年下であったが、ボーアの博士号取得の前年に22歳で博士号を取得した[9]。誰もが名声を得るのは弟の方だろうと思っていたが、後年世界的に有名になったのは兄の方であった(しかし、弟は若い時分からそうなることを予見し、周囲にもそう言っていた)。
  • 論文原稿は、いつも徹底的に書き直し完璧を目指した(改訂の回数は十指に余った)。しかし、苦労して完成させた原稿は、非常に深遠ではあるが、明快とは言い難いものであった[10]