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野口英世
1876 - 1928
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生い立ち
婿養子の父・佐代助と野口家の一人娘だった母・シカの間に長男として生まれました。野口家はもともと広い田畑をもつ農家でしたが、二代ほど前から男児に恵まれず、農地は荒れ果て生活は大変貧しい状況でした。
妹との会話ー"僕は家を出るから、家を継いでくれ。私は継ぎたくない。妹が婿をとって住めばいい。あんな絶望的な百姓の家なんて嫌だ。「継ぐことになったら、死んじゃうよ」...
1歳半の時囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負います。瘤のようになった清作の左手は母・シカにとって一生の悔いとなりました。母の勧めで三ツ和小学校に入学しますが、家が貧しく、新しい教科書も買うこともできませんでした。
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名前を変える
「野口英世」という名前ですが、実はこの名前は本人の意思によって改名されたものです。改名する前の本名は、「野口清作(のぐちせいさく)」でした。
改名をした理由は、坪内逍遥の小説『当世書生気質』にあります。その主人公の名前が「野々口精作」で自分の名前に酷似していたこと、そしてこの主人公の行動が自分と悪い意味で似ていたためです。
野口英世は自分の短所を直したいという思いから、「野口英世」と改名に至ったとされています。
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なぜアメリカにお墓があるの
1900年に単身で渡米。蛇毒研究に従事すると、1904年にはロックフェラー医学研究所の一等助手に27歳の若さで抜擢されます。そこで梅毒スピロヘータの研究など、当時世界的に流行していた伝染病を解決するために尽力していきます。
アメリカのロックフェラー研究所に勤めていた34歳の頃、アメリカ人女性のメリー・ロレッタ・ダージスと出会い、結婚します。その後は米国を拠点として研究活動をします。
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