承継
軌跡

(生い立ち~青年期)

1911年11月21日香川県仲多度郡神野村(現:まんのう町)で生まれる。生家は地元でも有名な大地主で、修は末っ子として何ひとつ不自由なく育った。香川県立丸亀中学校入学後から野球にのめり込み、将来は修が官吏になることを望んだ父親の意向で香川県立高松中学校に転校させられたが、校長は文武両道を推進しており、野球部入部を条件に転入を承認した。高松中学校では遊撃手として投手の梶原英夫(のち東京帝国大学)らと共に第14回全国中等学校優勝野球大会へ出場し、準決勝まで進出したが雨天コールドで敗退となった。また、当時の野球部マネージャーを務めていたのは、のちに日本社会党委員長に就任する成田知巳だった。