承継
軌跡

(生い立ち)

京都府福知山市に陸軍軍人の家に生まれる。父の生家は長崎県雲仙市瑞穂町にあり代々庄屋を勤めた名家。現在は従妹が在住している。満州国、長崎県佐世保市大阪府等在住を経て、旧制中学生のとき母の実家・長崎県諫早市疎開し、勤労動員生活を送る。旧制長崎県立佐世保中学校佐世保南高校佐世保北高校の前身)、大阪府立住吉中学校を経て、16歳の時、諫早市にて原爆に遭遇(爆心から20km先)。終戦後、長崎県立諫早中学校を卒業。

(エピソード)

2008年(平成20年)ノーベル化学賞を受賞すると、その受賞理由となった緑色蛍光タンパク質 (Green Fluorescent Protein; GFP) がオワンクラゲ由来であることも報道され、オワンクラゲを飼育しているクラゲ水族館こと鶴岡市立加茂水族館が注目された。これにより、同館の入館者数が通常の1.5~2倍に増加した[44]

同館で飼育されているオワンクラゲは、自然界から採取した成体は発光するものの、人工繁殖で世代交代させると発光しなくなっていた。そのことを聞いた下村が2008年(平成20年)10月24日に直接同館に電話をし、「セレンテラジンを餌に混ぜれば、2週間で光る」とアドバイスをした。そして、下村の紹介で、三重大学大学院生物資源学研究科の教授、寺西克倫からセレンテラジンを譲り受け、発光実験に取り組んだ。