承継
軌跡

滝川祭りにて

滝川祭りにて花月町 山崎石材店舗前にて

札幌オリンピック

札幌市宮の森シャンツェにて笠谷さん・今野さん・青地さんの金銀銅を目の当たりに見てオリンピックにあこがれる。当時子供たちは当たり前にあこがれたと思う。

父 巌とニセコ二人旅

昆布温泉グランドホテルに泊まった。
たぶん、汽車を使って行ったと思う。
父は、車の運転があまり好きではなかったので、滝川→ニセコ間は乗らなかっただろう。
アンヌプリスキー場からニセコひらふスキー場に滑りに行って帰りに1,000m台地から
アンヌプリに戻る際、風が強く一寸先が見えなくなり道先案内のポールから大きくそれて息子を連れてだったので、かなり焦ってたようだ。何とか帰れてよかったという思い出。

ニセコ ハンクの家にてモーグルの師匠と

19才の時に、ニセコにて後のモーグルの師匠となる玉置憲昭氏と出会う。
スピードスターであり、日本モーグルトップの選手との出会いは、のちのぼくの人生において大きな転機となった。
玉置さんには、技術的な事はもちろんでだったが、大会での戦い方、心の持ちよう(メンタル)はとても影響を受けた。

モーグルデビューの年

長野大会にて栂池スキー場
バックに見えるのがモーグルコース?

この当時はモーグル参加選手もそれほど多くなく、
且つコブは選手が練習で滑ったコブを利用。
モーグルは土曜日のレースが多かったが
平日は数人しか練習に来ないので、なかなかコースにコブができない。
ジャンプ台もスコップを入れること禁止。

今から考えるとどうやってモーグルやるの?という状況の中での大会だった。


1989年の全日本かPan Pacific by Tae Satoya

多分 全日本? ライバルの芳澤秀雄さんと蟹沢正美さんと一緒。

ワールドカップ9位

90季ワールドカップレイクプラシッド大会で日本人初の予選突破12位(16位以内予選ライン)
まさか予選突破するなんて?と工藤コーチも自分自身も思っていなかったが、一応決勝のスタート地点に行き、スタートリストを見ると、なんとOsamu Yamazaki が11位で予選を突破していた。
すでに、あと二人くらいで自分のスタートだったため、極寒の中、着込んでいたウェアーを脱ぎ捨て、ただ一人同行していた現地の友人 大下健太郎君に荷物をお願いしていきなりスタート。とりあえず、まっすぐフォールラインに向かって滑り降り一つ順位を下げて12位。
1990年ワールドカップレイクプラシッド大会リザルト

その後、自信を持ってスタートしたW杯猪苗代大会で日本人初のシングル9位をゲット。
タイムはラップタイムだった。
1990年ワールドカップ猪苗代大会リザルト

後半戦のワールドカップは不出場だあったため、グランプリポイントは26位でした。
ブラボースキーモーグルの歴史より
山崎 修世界大会全成績

ウィスラー夏合宿

ウィスラー夏氷河スキー合宿 当時中学生のたえもさんか

オリンピック前年夏合宿の怪我

モーグル選手活動中、怪我の時期や、致命的な怪我はなかったけど、鎖骨複雑骨折や、踵の骨折などはあり^_^

1992年アルベールビルオリンピックモーグル日本代表

27才で出場したフランスアルベールビルオリンピック
このオリンピックからモーグルが正式競技となった。

日本人は男女合わせて自分一人だけの出場となった。
めったに大きな失敗をしないのだが、一番重要な大会であるオリンピックでも
大きなミスを侵した。
やはり、いつもの大会とは違う重圧があったのもあるが、
NHKのカメラがスタート前10人前くらいからスタートで追うということを
事前に打ち合わせをしていたのが、橋本聖子さんが銅メダルを取ったことで
予定していたカメラスタッフがおらず、そこから集中を高めるというイメージを
持っていた自分自身の甘さから少し同様したのかもしれない。
まあ、予期せぬ出来事が訪れるのが自然の中での競技。
自分自身の甘さから招いた失敗だった。
アルベールビルオリンピックリザルト

グレンプレイクと一緒に初の羊蹄山ツアーでスキーの意識が変わる

グレン・プレイクというフリースキーのレジェンドとともに滑ることで、モーグル競技に専念していた自分のスキー観が大きく変わりました。スキーの世界は想像以上に広大で深いものだと気づき、それがその後の自分自分のスキースタイルを変えていった。

1998年 長野オリンピックにて絶叫解説

やったー すっげーたえ!
モーグル悲願の金メダリストが里谷多英選手の会心の滑りで突如訪れた。

里谷多英選手長野オリンピック金メダルシーン

幼少時から、スポーツ解説に対して言いたいことを言わない方が多いと感じていたので
もし、自分がその立場になったら言いたいことを思いっきり言う心の準備はしていた。

お陰様で「あっこにおまかせ」のテレビ番組にも生出演をさせて頂き良き人生の想い出の一コマとなった。

津波記憶石第一号を製作~施工まで建立(岩手県釜石市鵜住居)

津波記憶石建立(岩手県釜石市鵜住居)
津波記憶石は、東日本大震災の教訓を未来に伝えることを目的に、全優石(一般社団法人全国優良石材店の会)が推進しているプロジェクトの確実で建立された石碑です。

津波記憶石プロジェクトの目的
震災の記憶を風化させない**東日本大震災での津波被害や避難の教訓をその後に残し、同じ災害があった場合には将来への警報鐘として設置されています。