この追悼サイトは、 なかにし 礼(作詞家・小説家)さまのために作成されました。
享年82歳 、誕生日 1938年9月2日、命日 2020年12月23日
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なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。
来歴[ソースを編集]1938年(昭和13年)9月2日、満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生まれる。元は北海道小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。実兄・正一は立教大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く[2]。青森市在住時には入会していた読売ジャイアンツのファンクラブの誘いで青森市営野球場での試合のバットボーイを担当したが、その試合は藤本英雄が日本初の完全試合を達成することとなった。東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをし半年ほどアテネフランセに通う。シャンソンの訳詩を手掛け、大学の入学資金も稼ぎ、大学在学中にヒットメーカーになる[3]。一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学する。中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。大学在学中、1963年に最初の妻と結婚する。一女をもうけ、1966年に別居、1968年に離婚する[4]。
元タカラジェンヌで、シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで始めたシャンソンの訳詞を手がけていた頃、妻との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで『太平洋ひとりぼっち』(映画1963年公開)を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得る。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込んだ。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットする。1969年には、作品の総売上が1,000万枚を超える。コンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や文化放送『セイ!ヤング』パーソナリティ、NHK『N響アワー』レギュラーなども務める。
若い頃から何度も繰り返した心臓疾患[1] や離婚に加え、1970年代後半には、特攻隊の生き残りで戦後はニシン漁に投資して全財産を失うなど、破滅的な人生を送った兄・正一の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむ困難を抱えたこともある。1998年にはその兄の人生を描いた小説『兄弟』で第119回直木賞候補となり、2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞した。NHK連続テレビ小説『てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』を始め『赤い月』『夜盗』『さくら伝説』『戦場のニーナ』『世界は俺が回してる』『夜の歌』などを執筆する。
主な作詞曲[ソースを編集]あ行
『兄弟』
『長崎ぶらぶら節』
『赤い月』
『夜の歌』
オペラ
『天国と地獄』
『ワカヒメ』
『静と義経』主な受賞歴日本レコード大賞(3回)
日本作詩大賞(2回)
直木三十五賞(2000年)
なかにし礼「石狩挽歌記念碑」 小樽市
石狩挽歌 昭和五十年
北原ミレイ創唱
なかにし礼作詞
浜 圭介作曲
海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あらからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬染めながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の にしん御殿も
今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロ
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る
※注:このサイトは、なかにし礼に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
享年82歳 、誕生日 1938年9月2日、命日 2020年12月23日
※ なかにしさんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。
来歴[ソースを編集]1938年(昭和13年)9月2日、満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生まれる。元は北海道小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。実兄・正一は立教大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く[2]。青森市在住時には入会していた読売ジャイアンツのファンクラブの誘いで青森市営野球場での試合のバットボーイを担当したが、その試合は藤本英雄が日本初の完全試合を達成することとなった。東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをし半年ほどアテネフランセに通う。シャンソンの訳詩を手掛け、大学の入学資金も稼ぎ、大学在学中にヒットメーカーになる[3]。一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学する。中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。大学在学中、1963年に最初の妻と結婚する。一女をもうけ、1966年に別居、1968年に離婚する[4]。
元タカラジェンヌで、シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで始めたシャンソンの訳詞を手がけていた頃、妻との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで『太平洋ひとりぼっち』(映画1963年公開)を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得る。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込んだ。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットする。1969年には、作品の総売上が1,000万枚を超える。コンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や文化放送『セイ!ヤング』パーソナリティ、NHK『N響アワー』レギュラーなども務める。
若い頃から何度も繰り返した心臓疾患[1] や離婚に加え、1970年代後半には、特攻隊の生き残りで戦後はニシン漁に投資して全財産を失うなど、破滅的な人生を送った兄・正一の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむ困難を抱えたこともある。1998年にはその兄の人生を描いた小説『兄弟』で第119回直木賞候補となり、2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞した。NHK連続テレビ小説『てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』を始め『赤い月』『夜盗』『さくら伝説』『戦場のニーナ』『世界は俺が回してる』『夜の歌』などを執筆する。
主な作詞曲[ソースを編集]あ行
- 朝丘雪路
- 「雨がやんだら」(1970年)
- 浅野ゆう子
- 「沖縄サンバ」(1980年)※補作詞のみ
- 梓みちよ
- 「風来坊」(1968年)
- アン・ルイス
- 「グッド・バイ・マイ・ラブ」(1974年)
- 石川さゆり & 琴風豪規
- 「東京めぐり愛」(1984年)
- 石川さゆり
- 「風の盆恋歌」(1989年)
- いしだあゆみ
- 「恋のシャドー」(1967年)
- 「喧嘩のあとでくちづけを」(1969年)
- 「あなたならどうする」(1970年)
- 「昨日のおんな」(1970年)
- 「何があなたをそうさせた」(1970年)
- 石原裕次郎
- 他の歌手
- 天使の誘惑
- 今日でお別れ
- 北酒場
- 時には娼婦のように
- 石狩挽歌 ※他ヒット曲多数あ
『兄弟』
『長崎ぶらぶら節』
『赤い月』
『夜の歌』
オペラ
『天国と地獄』
『ワカヒメ』
『静と義経』主な受賞歴日本レコード大賞(3回)
日本作詩大賞(2回)
直木三十五賞(2000年)
なかにし礼「石狩挽歌記念碑」 小樽市
石狩挽歌 昭和五十年
北原ミレイ創唱
なかにし礼作詞
浜 圭介作曲
海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あらからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬染めながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の にしん御殿も
今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロ
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る
※注:このサイトは、なかにし礼に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
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