承継
軌跡

(幼少期)

レオナルドは1452年4月15日(ユリウス暦)の「日没3時間後」[注釈 4]に、トスカーナのヴィンチに生まれた。ヴィンチはアルノ川下流に位置する村で、メディチ家が支配するフィレンツェ共和国に属していた[15]。父はフィレンツェの裕福な公証人セル(メッセル)・ピエロ・フルオジーノ・ディ・アントーニオ・ダ・ヴィンチで、母のカテリーナはおそらく農夫の娘とされる[14][16][注釈 5]

レオナルドの「姓」であるダ・ヴィンチは、「ヴィンチ(出身)の」を意味する。出生名の「レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ」は、「ヴィンチ(出身)のセル(父親メッセルの略称)の(息子の)レオナルド」という意味となる[15]。セル(メッセル (Messer)) は敬称であり、レオナルドの父親が公証人に就いていたことを示している。

(工房時代)

1466年に、14歳だったレオナルドはフィレンツェで最も優れた工房の一つを主宰していた芸術家ヴェロッキオに弟子入りした[24]。ヴェロッキオの弟子、あるいは協業関係にあった有名な芸術家として、ドメニコ・ギルランダイオペルジーノボッティチェッリロレンツォ・ディ・クレディらがいる[19][25]。レオナルドはこの工房で、理論面、技術面ともに目覚しい才能を見せた[26]。レオナルドの才能は、ドローイング、絵画、彫刻といった芸術分野だけでなく、設計分野、化学、冶金学、金属加工、石膏鋳型鋳造、皮細工、機械工学、木工など様々な分野に及んでいた[27]