承継
軌跡

(明治時代)


明治17年(1884年)春に岐阜県南西部エリアで誕生(滋賀に近い場所)。

苦労した10代前半・半ばを乗り越えたのち、
19歳の頃に日本対アメリカの試合を見て野球の魅力を知る。
そして、20代前半であった明治39年(1906年)に弟の利三と共にMIZUNOの前身となる
「水野兄弟商会」を大阪市北区で開業。
野球ボールなどを販売をスタートさせるなど、
まずは自身が好きなスポーツである野球事業から事業を発展させる。
翌明治40年(1907年)からはオーダーメイドの運動服事業も開始。

明治43年(1910年)、店を梅田新道に移転すると共に
「水野兄弟商会」という商号を「美津濃商店」へと変更。

夏に明治天皇が亡くなり、明治を大正またぐ形となった
1912年には設立8年で東京に進出。

(大正時代 1912年~)

大正2年(1913年)、野球用グローブやボールの製造をスタートし、
翌年には大型工場を設置して本格的にスポーツ関連商品の製造をはじめた。

1920年代に入ると、ゴルフ・スキーなどの事業にも進出し、
野球用品だけの会社ではなくなった。

(昭和時代 1926年~1970年)

昭和2年(1927年)、大坂の淀屋橋エリアに新本社が完成。

昭和4年(1929年)、欧米視察に出かけた。


昭和17年(1942年)、
「美津濃商店」から「美津濃株式会社」へと商号を変更。

戦後の昭和30年(1955年)、
野球好きの水野利八は長年に功績を高く評価されて
全国高等学校野球連盟から功労賞を授与。
さらに翌昭和31年(1956年)には国から「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を授章するまでになる。


昭和37年(1962年)、美津濃株式会社を東証2部上場へと導く。

昭和44年(1969年)、息子の水野健次郎氏に社長職を譲り、自らは会長に退く。

昭和45年(1970年)春、80代半ばで死去。
翌1971年には野球殿堂入りした。


その後、美津濃株式会社は1972年に東証一部に昇格。
そして、後継者の息子や孫によって世界的なスポーツメーカーへと成長していった。