承継
この追悼サイトは、 司馬 凌海(日本初の独和辞典を発行した語学の天才と言われた)さまのために作成されました。

享年39歳 、誕生日 1839年4月11日、命日 1879年3月11日
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司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年2月28日1839年4月11日) - 明治12年(1879年3月11日)は、医学者言語学者。愛知医学校校長。佐渡島新町(現:新潟県佐渡市真野新町)生まれ。日本初の独和辞典を刊行した[1]

は盈之(みつゆき)、凌海は通称。他に、号に「揖軒」「無影樹下」「船楼」があった[2]。本名は「司馬津」[2]

幼名、島倉伊之助[3](なお「島倉亥之助」の表記もある[2]。弟に島倉家を譲り、司馬と改姓した[2]

語学の天才と言われ、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていた。松本良順ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに師事していたことから、特に医学用語の日本語訳を多く作っている。

ドイツ語学者司馬亨太郎は長男、囲碁棋士喜多文子は二女。

略歴[編集]著書[編集]
  • 七新薬(司馬凌海 著、関寛斎 校)
  • 和訳独逸辞典(日本最初のドイツ語辞典)
  • 独逸文典字類(明治4年)
    • ドイツ語はドイツ草書体で表記され、品詞も記載されている。アルファベット順(ドイツ語)で記載。
  • 朋百氏薬論(訳、明治2年)
    • ポンペの薬物学講義を翻刻したもの
  • 薬物学(別題「百氏薬性論」)
      司馬凌海の碑 司馬凌海の碑
       新潟県佐渡市吉岡1695 佐渡市立真野小学校

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このメッセージは、 2024年6月27日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
短い生涯だったが司馬凌海の果たした功績は大きい。   合掌

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このメッセージは、 2024年6月27日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
短い生涯だったが司馬凌海の果たした功績は大きい。   合掌
軌跡

(エピソード)

  • 医学校時代に指定した教科書を買い占め、原価より高く売り利益を得ていた。その金で放蕩していたので、謹慎処分になる。
  • 医学校に教師として来たドイツ人医師レオポルト・ミュルレルテオドール・ホフマンと話したとき、あまりに上手に話すので「あなたはドイツに何年いましたか」などと聞かれた。しかし、実際には日本から出たことはない。
  • 医学校に外国の教師を呼んだが、凌海以外に通訳できる者がいなかった。したがって好きの凌海が二日酔いで休むと自然と休講になった。
  • 通訳するときに、日本語にない単語はその場で即座に造語した。漢文に精通していたため、的確な訳語だったといわれている。