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秦佐八郎(世界初の抗生物質を開発した学者)
1873 - 1938
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秦佐八郎(世界初の抗生物質を開発した学者)
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(生い立ち)
島根県美濃郡都茂村(現
益田市
)に豪農・山根道恭とヒデの十四人兄弟の八男として生まれる。14歳の時に姻戚である秦家より養子に迎えられた。代々医師の家系であった秦家には当時一人娘しかいなかったために、兄弟の中で成績が優秀であった佐八郎に白羽の矢が立ったのである。その際、秦家より「岡山で勉強が出来る」と言われたのも少年であった佐八郎が養子に行く決心をした理由の一つであろう。
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(少年時代)
佐八郎は悪戯好きの少年であり、すぐ上の兄で2歳年上の藤七とよく遊んだが、乱暴狼藉が過ぎると、空いている大きな酒造りの樽に放り込まれた。食事時になっても2人は容易に樽の中から引き上げてもらえなかったという。母ヒデから「さあさん、ちょっと来てやんさい」と土蔵に呼ばれ、諭された逸話は地元では有名
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