承継
軌跡

(生い立ち)

父は有吉眞次。長州藩有吉熊次郎は曽祖父にあたる。

佐和子の母の有吉秋津は明治37年(1904年)に和歌山の庄屋の家に生まれ、旧姓は木本といい、父の木本主一郎は政治家だった[3]。たいそうな大女で結婚条件は自分より背が高いことだった。こうして横浜信用金庫に勤めていた180cmの有吉眞次に嫁ぎ、お手伝いを連れて上京した。(佐和子の身長は165cm)[2]

(小学校~就職まで)

横浜正金銀行勤務の父の赴任に伴い、佐和子は小学校時代を旧オランダ領東インドバタヴィアおよびスラバヤで過ごした。 1941年に帰国後、東京市立第四高女(現・都立竹台高校)から疎開先の和歌山高女(現・和歌山県立桐蔭高校)へ。その後、光塩高女を経て、府立第五高女(現・都立富士高校)卒業。東京女子大学英文学科に入学したが休学後1952年同短期大学部英語学科卒業。大蔵省外郭団体の職員を経て舞踊家吾妻徳穂の秘書となる。